【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その7

逆境は日を追って重くのしかかり、時間の進み方は滞るばかりでしたが、私はもはや両親に弱音を漏らしませんでした。
4月11日の一回の朝の内に、「『学校に行きたくない』と両親に口にすれば直後に不幸を受ける」という条件反射が私の中に組み込まれ、その動作に関するチャネルは固く塞がれていたのです。 “【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その7” の続きを読む

【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その8

同じ頃の母親は、朝の8時20分に私を起こしにきて、私が布団にもぐったままなのを見ると「今日は学校行くの?行かないの?」と問いただしを必ずしてきていました。母親は、息子に無理強いする自分の姿を作らないために「絶対に学校に行け」という言辞は使わないまでも、その問いただしの口調や表情は露骨に不機嫌そうで、また私が返答を渋っていると「頑張る?」「行ける?」「行けそう?」「行くか行かないか迷ってるんだったら、行ったほうがいいと思うけどなー」などと、登校する方面に誘導する聞き方をやたら多くしてきました。 “【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その8” の続きを読む

【B毒の汚染】 第六章~嵐の爪痕~ その1

〈第六章 嵐の爪痕〉

実家に帰ると夜九時で、当然その日の診察は無理でした。
予告もなく数ヶ月ぶりに帰ってきたことに驚いた母親に、私は「長谷部先生のところに行く・・・」「精神的な問題を抱えた」と言いました。
母親とは、この一年100語も口を利いていなかったさすがの私も、この晩は折れてこれまでの経緯を説明し始めました。
「中学校の時、B(フルネーム)って奴が居たでしょ・・・?」
中学校の「三年生を送る会」の音声起こしをしたり、B毒の症状を言語的に説明したりするのは始めてでした。 “【B毒の汚染】 第六章~嵐の爪痕~ その1” の続きを読む

【B毒の汚染】 第六章~嵐の爪痕~ その3

しかし、見えない毒との戦いはまだ終わりませんでした。長谷部先生の提示した二つ目の治療プランは、難航しました。すなわち、Bに触れられた部分の不快感自体が消失しても、その部分が「他の皮膚と触れ合った時の不潔感」の方はなかなか克服できなかったのです。 “【B毒の汚染】 第六章~嵐の爪痕~ その3” の続きを読む

【B毒の汚染】 第六章~嵐の爪痕~ その4

私は、ある皮膚が伝播毒にかかるかも知れないと疑い始めることを「皮膚にケチがつく」と呼称していました。
未来から振り返ると、2009年1月24日から一年の間に、結局疼き感が定着してしまった部分は、首の後ろの左側の皮膚を除いて、新たに、

・右のふくらはぎの内側
・左のすねの前側
・左のふくらはぎの内側
・右のすねの前側
・右のひじの一番尖っているところ
の五箇所でした。原理上、やはり服の布がひらひら当たるような箇所に限定されるわけでした。 “【B毒の汚染】 第六章~嵐の爪痕~ その4” の続きを読む