【B毒の汚染】 第六章~嵐の爪痕~ その6

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強迫性障害という疾患の特徴なのだそうですが、日々を追うごとに、私の中で作られる不合理なマイルールによる締め付けは漸漸に厳しくなっていきました。
伝播事件が起こってからすぐの頃は、B毒は物品を経由しないことになっていました。私は本家毒を治すのに、高台ベッドのはしごの最上段にアゴをのせて重心をかけたり、回転椅子に座って背もたれに、右の二の腕の横側を押し当て続けたりする方法をとったのですが、本家毒が治りきったのと同時期に、そのはしご段や、背もたれが汚いと思いはじめるようになりました。
暮らしの中で、回転椅子に座ってTVゲームをする時や高台ベッドを登ろうとする時に、その部分を避けなければならなくなりました。
もし初めから、物にもB毒が染みることがあるという発想があったなら、そんなに日常生活でそばを通りやすい物品を、不快感を消す道具には選ばなかったはずです。
2009年の前半の内には、入浴後に身体を拭く時に、体全体も、アゴと右の二の腕も、同じバスタオルで拭くことが出来たのです。
アゴや右の二の腕を拭った瞬間にそのバスタオルを、目を閉じて、回転をかけて少し放り上げて、どこでアゴと右二の腕の水滴を拭ったのかわからないことにすれば、そのまま、ただの全体に清潔なバスタオルとして、身体全体を続けて拭いても、気にしないでいることができました。
私のそれまでの20年近くの人生の中で、「入浴」に関する動作が一連の流れとして身体に染み付いていたために、その流れに乗せることによって、そこに含まれた「アゴを拭く」と言う動作に対して、異論をはさむ気持ちを持たずに、やり過ごすことができたのでした。
湯船につかることについても、アゴや右の二の腕と接触した水が、湯船に混ざることは避けられないわけですが、これもまた慣性の作用によって、普通に入湯を行うことが出来たのです。
しかし、半年も時間が経った頃には、入浴時にはアゴと右の二の腕を拭くタオルを分けて用意しなければならなくなり、また、湯船を使うこともできなくなっていたのでした。
髭を剃る習慣に関しても、髭を剃る時に、安全カミソリはアゴとあからさまに接触することとなるわけですが、別の日に替われば、その安全カミソリへの不潔感はリセットされるので、「口ひげが先あごひげが後」という順番を守って髭剃りをしていれば、剃り跡を特に汚いと思わずに、一つの安全剃刀を使い続けることができていました。しかし、後日には、あごひげ用と口ひげ用の髭剃りをそれぞれ使い分けなければならなくなりました。
髭剃り後や歯磨き後に石鹸で手を洗う時の入念さも、次第に度合いが重くなっていきました。初めは、アゴに直接触れた指先だけを石鹸にまぶせば事が済んでいたのが、後には、「手のひら全体を石鹸でこすらなければならない」→「手の甲も含めて手全体を洗わなければならない」→「手全体を二回洗わなければならない」→「手全体を爪の中も含めて二回洗わなければならない」とどんどん手間がかかるようになっていったのです。
手洗いの入念度がそこまで高くない内には、アゴや右の二の腕にかゆみを感じたときに、後で洗えばいいと、指で掻くことができていましたが、後々の時期には、私は部屋の片隅に、本家毒の跡地を掻く用の竹串を置くこととなりました。

ところで、「自分のアゴや右の二の腕や、そこからこぼれた水を、自分では現在は健康だと思っている皮膚と絶対に触れさせないようにすること」は、事実上には無理なことでした。
風呂場でシャワーを浴び、髪を洗い流す最中に、アゴや右の二の腕を経由した水は床に大量にこぼれてしまうし、毎日歯磨きの後、アゴを伝った水を、タオルを手に取る間の床に落としていたりするし、さらに、服の襟とその周辺がアゴと一切触れないようにすることも容易ではありませんでしたし、それに、愛用のかけ布団には、伝播事件以前にアゴが数え切れないほどの回数触れあったことが記憶に残っていて、かつまた、事件以降も、ときどきに触れてしまうことがあるのは避けられないことで、ミクロコスモス的には、自宅の床全体や掛け布団には、私のアゴや、右の二の腕から剥落した皮膚の分子がまんべんなく散布されていたわけなのでした。

「B毒が物品を経由する」という発想が芽吹いた当初には、床と触れる足の裏や、かけ布団や、襟回りの生地に不潔感を感じたこともあったかもしれません。しかし、床と触れずに生活を送ることは事実上できないし、掛け布団をアゴと触れるたびに新しく買い換えるわけにも行かず、襟ぐりとアゴが触れるたびに着替えをするのは不経済に過ぎますので、それらのことに関しては、我慢するほかになく、自動的に曝露反応妨害法がなされることとなり、ついには、掛け布団と自宅の床と衣服の襟回りに限っては、特例的にB毒が染みない扱いとなりました。
振り返ると滑稽に思えるほどのことですが、歯磨きの時にアゴから垂れる水が服につかないように細心の注意を払っていたのに、洗面所を離れてから5分も経たない内に、床に就けば、アゴの脂が染み付いた掛け布団に平気で触ることができたのです。
アゴが、爪や竹串を使うほどでなく薄ら痒い時に、鎖骨の上の布地を、アゴとこすり合わせて痒みを抑える用とすることができたのです。「床とかけ布団と襟ぐりの不潔感を我慢し続けることによって克服できた」という経験則を持ちながら、私は、長谷部先生の言う「不潔感が指につくのを恐れて特定の皮膚に触れられないのならば、これを克服するにはあえてその皮膚をさわり、その指であちこちの別の皮膚に触れ回れば良い」という計画案には取りかかれませんでした、結局は、この当時の脳中では、あくまで万が一にも不快感が全身に回る可能性への怖さが勝っていたのです。それに、当時の私は「自分は不思議と布団の汚れや床の汚れや首周りの汚れを気にしていないな」などといつの間にか克服したことを説明する心内語は出せませんでした。口に出すことによってせっかく取り外せたしがらみを復活させてしまうことになるかもしれないと、潜在意識の内に恐れていたのだと思います。

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