理論で言うと簡単そうにみえるけど・・・
前回の記事で、孤独な生徒の強がりの心情が曝露反応妨害法の適応症であることを述べました。
学校時代に孤独な体験をしなかった方は、「4日やれば人はだいたい変われるのか!簡単じゃないか!」と思われたかも知れませんが、ことはそう簡単ではないのです。もし曝露反応妨害法の理論だけが伝わったとしても、今現在、孤独に苛まれている学生は、なかなか実際に小説を書き始めてはくれないと思います。
今現在、若かりし日の私とまったく同じく肉付きの面にとらわれている学生が、もし前回の記事にすべて目を通してくれたとしても、その読む最中の心がまえは、一文一文に胸のざわめきを覚えながら「これは、立瀬マサキという人の体験であって自分には関係ないから」と心の声で言い張りながら文字を追っていく感じになると思います。
ナショナルジオグラフィックの記事で、「思春期の子どもの脳には、将来ひとりぼっちにならないためか友達を作らなきゃホルモンが大量に分泌されている」という内容が書かれてありましたが、ティーンエイジャーにとっては同年代とのつながりを欲することは、本当に切実なことで、それが叶わなかった場合のみじめさや、恥ずかしさや、受け入れがたさは大変に甚大なのです。
不利な立場に陥ったマイノリティの人が、その不利益さを認めないことを心理学では「否認」と言いますが、「学校での孤独に苛まれている」というマイノリティは、あらゆるマイノリティの内でも特に否認に陥りやすいマイノリティなのだと思います。
そこで私は、このサイトの重要なコンテンツとして「孤独図鑑」と銘打った物を企画しました。これはつまり、私自身が学校内で孤独によってみじめな体験をした数々の場面を、心理描写、生理描写、具体的な行事名、見た光景、聞いた発言も含めて、つまりは起こったことをそのままに小説に書き表した物を、列挙したコンテンツです。
孤独な生徒が味わいがちな感覚を列挙することによって、現在の当事者の共感を得ようと思い、そのような叙述形式をとりました。また、かつての自分の、弱かった時のことを詳しく説明するのは、もちろん私自身とても恥ずかしいと感じますが、大人の方から、恥ずかしさを正直にさらけ出すことが、思春期の青年が自分をさらけ出してくれることにつながると思うのです。後進のためになると思えば、トータルでは私は別に恥ずかしくないのです。
そうして私は、このブログに私の経験を並べるだけではなく、より広く、多くの方の孤独体験の募集を行って、一か所に集めていきたいと考えています。
もし、私のこれまでの記述に心当たりのあった方や、あるいは、青春の一時期の間、孤独に陥ったことがあるけれども、進級、進学、就職などを契機に、苦境からは脱せて、自然にそのことを振り返れるようになったという方は、ぜひそのことを小説に書き表していただき、ブログ内の投稿フォームへご投稿くださいますようお願い申し上げます。(投稿フォームへのリンクは、次の記事にて作る予定です。)
(作りました!学校での孤独・いじめ被害体験募集フォーム)
私は昼休み中に一緒に弁当を食べる相手がいなくて困るとか、修学旅行の班決めで困るといった、2ちゃんねるの「孤独な男性板」でよく語られるような「孤独な生徒にとって苦痛になりえる行事」での居たたまれない体験はだいたい履修したつもりですが、例えば「調理実習」という行事では家庭科の先生が班を指定してくれる良い先生であったので結果的に孤独な体験はできなかった、ということなどがあり、すべてを網羅したわけではないのです。
ですので私一人では描写できない場面もあるし、また同じ昼休み中の孤独を書き表すということでも、筆致の感性やそれまでの読書体験によってそれぞれ表現は異なることとなり、ある人の表現はある孤独な生徒の琴線に触れなかったけど、別の人の表現技法では触れることができた、ということも起こりえると思います。なるべく多数の方に学校で孤立した時の辛さを打ち明けていただくことによって、現在孤立している最中の生徒も、自分の持っている感情が誰にでも起こりうることだと納得できるし、「多くの理解者がいる」ということを実感できて、悩みの核心を相談する勇気を持ちやすくなると思います。
「孤独図鑑」の拡充と精錬を行うことは、そのまま、より強い肉付きの面にとらわれている当事者を助けることにつながるはずです。
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