【B毒の汚染】 第一章~露出~ その1

【B毒の汚染】

〈第一章~露出~〉

2005年3月15日、その日は中学校の卒業式の前日にあたり、私は「三年生を送る会」に送られる立場として出席しました。三年一組の男子に割り当てられた区画に、パイプ椅子が横に並べられてあり、私はその列の右端から1つ左側の椅子に座っていて、右隣にはBという同級生がおりました。 “【B毒の汚染】 第一章~露出~ その1” の続きを読む

【B毒の汚染】 第一章~露出~ その2

ブラスバンド部の演奏があり、ビデオのスライド上映、部活ごとの後輩の出し物がありました、Bは声を出せる場面ならば「たっちゃん、ねぇ 猫のはなし!」「ウォイ」「オォイ」の掛け声の大きさを調節して、私のアゴを押し上げることを繰り返してきました。私の悔し涙は、はた目からは学校との別れを惜しんでいる感動の涙と見間違えられていたと思います。 “【B毒の汚染】 第一章~露出~ その2” の続きを読む

【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その1

〈第二章~浸蝕~〉

「三年生を送る会」から50日が過ぎた頃、私は愕然とする事実に気がつきました。「三年生を送る会」の場でBに複数回触れられた私の皮膚の部分、すなわちアゴと右の二の腕という二箇所に異物感ストレス感が生じていたのです。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その1” の続きを読む

【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その3

皮膚の不快感に気づいてから、患部に極力物が触れないように努めることが私の習慣になりました。高校に行っている時など社会生活を過ごしている間は、患部の不快感覚はある程度なりをひそめましたが、自室に一人でいるオフタイムには頻繁にその症状につけいられました。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その3” の続きを読む

【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その4

そうして、皮膚の異常感覚だけにとどまらず、私は忌まわしい記憶を呼び起こす記念品に日常を取り囲まれていました。

言語について言うなら「猫」「オォイ(多い)」「しゃくれ」「損害賠償」「倍返し」「・・・しちゃったし」「あきらめる」「そうだよ」「反抗らしい反抗もできなかった」「私はなにも言えなかった」といった、その場の光景を表現するような語に触れると私は焦燥や憤りを覚えました。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その4” の続きを読む

【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その5

私は先に、高校に行っている間は皮膚の不快感はなりをひそめたと書きましたが、それはそのほかの「三年生を送る会を思い出す合図シリーズ」についても同様でした。しかし、このことは単に他者がいる緊張感によって手回り品よりも外に注意が向いたというまでで、私が高校生活で友愛に包まれ、過去を薄めることが出来たという意味では決してありません。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その5” の続きを読む