【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その3

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皮膚の不快感に気づいてから、患部に極力物が触れないように努めることが私の習慣になりました。高校に行っている時など社会生活を過ごしている間は、患部の不快感覚はある程度なりをひそめましたが、自室に一人でいるオフタイムには頻繁にその症状につけいられました。

・私はアゴづえをつくことができなくなりました。
・床に入り、体にかぶせた布団を顔の方へ伸ばしていくときに、布団の上べりがアゴに触れてしまい急いでそれを離すというシーンを、日を送るにつれて数えきれないほどの回数かさねました。
・眠るときに体の向きを右を下にすることがしにくくなりました。右に寝返りを打ちたい時、当然右腕を胴体のわきにくっつけたまま、右の二の腕を底にして、寝そべることはできなくなりました。それどころか、仰向けに寝た状態から少し身体を右に傾けて、二の腕の皮が突っ張りぎみになるだけでも、不穏を感じました。右腕の腕枕などもってのほかでした。私は右向きで寝る時には、右腕を、ひじの内側の骨が出っ張った部分を底にして、逆「く」の字に曲げた格好にして、患部が天を向くようにして寝ることになりました。
・左を下にして寝ている時も、掛布団を右の二の腕にかぶせるといけないので、布団の上べりを右わきではさんで、二の腕を出すようにしていました。
・患部が不快感を起こす刺激の閾値は、大変低いものでした。シャワーを浴びて、水が連続的にアゴの上を流れていく間は不快に感じませんでしたが、シャワーを止めて、流れる水が断続的になると不穏を覚えました。汗のしずくがアゴにぶら下がったらすぐにそれを拭わなければなりませんでした。
・ふと何だかイライラするなと気づき、もしやと思って皮膚感覚に意識を向けるとやはりアゴにピリピリとした痺れが発生していて、そんなときに鏡を見に行くと、アゴにはきっと髪の毛やビニールテープの細い切れ端などが引っかかっていないことはありませんでした。
・ところで、唯一例外的に、患部の不快感も異物感も全く感じなくなる時がありました。私は寝しなには、アゴに布団を当てない工夫をするのですが、寝ている間に体勢が変わり、目が覚めてアゴに布団がかぶさっている時がありました。私は、起きてすぐは血圧が低いため機嫌が良いことが多いのですが、この時に限ってはアゴにストレスを感じず、患部の感覚が正常に戻ったようになりました。
・皮膚の異物感はいかにも皮膚自体の疾患であるかのような面があるところから、B毒に気づいた当初は、時間が経てば自然治癒するかも知れないと期待を抱きました。しかし、残念ながら4年近くが過ぎても患部の不快感の度合はほとんど軽減しませんでした。アゴと二の腕の異常を確認する日々ごとにBの毒悪さが身に染みてゆきました。
・高校へ進学し、Bとの関わりがなくなってからアゴを他人の指で触れられることはまずなくなったのですが、2008年に親知らずを抜きに行った時、歯医者さんが、私のアゴを突然指で押さえた瞬間があり、私はその時には、はらわたの煮えくりかえるような不快を覚えました。歯医者さんはその時ディスポーザブル手袋をしていたはずですが、その手触りは素肌の手触りに準じるとして、B毒が最も多大に不快感を呼び起こす条件は「他人の肌がいきなり触れること」であったと思います。
・統計を取ったわけではないので正確ではありませんが、記憶にのっとると2~3週間に一度の頻度で数時間ほどの間、B毒の不快感が強まる時がありました。通常患部は、物が当たらない限りは、不快感は呈しないのですが、その時間には、何もしてなくてもストレスがにじみ出続けるし、本当に物が当たれば、普段よりも余計にストレスが生じてしまうのです。例えば、二の腕について言うと、普段ならば長袖の服を着ていて、波型によれた袖の凹部分が、二の腕の患部に当たるのは嫌だけど、外からその箇所の袖の形を整えて、布が患部全体にふんわり当たるようにすれば、そのままで可とすることができました。ところが、二の腕の患部が増悪状態にあるときには、長袖など着ていられず、袖をまくったり、消しゴムなど小さな棒状の物を患部近くに垂直に立ててテントをつくったり、襟ぐりから右肩全体を出したりしなければなりませんでした。アゴについて言えば、増悪のときには、鼻息を漏らす空気の流れすらアゴとこすれて感じられました。横になっている時にアゴ部分が増悪してしまったので、かけ布団に溝をつくり、それを鼻の穴の前に設置して、鼻息を分散させなければならなかったというシーンが、年月を経るごとに何度もさしはさまれたことを覚えています。
こうした不快感の増悪は、アゴの時はアゴだけで、二の腕の時は二の腕だけで別々に起こりましたので、この増悪は、その時の心境に作用されたというより皮膚自体の器質的な異同に関係していたかも知れないと今では思います。後になって考えると、患部のそばの筋肉の凝りと関係があった気がします。特に二の腕について顕著でしたが、増悪している二の腕の患部に手を当ててみるとたいていそのあたりの筋肉が凝り固まっていた記憶があるのです。そうして、筋肉の凝りの重苦しい感じと、患部の皮膚のストレス感とは、不気味に親和しました。左の三角筋では痛気持ちいいはずなのに、凝り固まった右の三角筋を揉んでみると、ストレス物質が表面の皮膚から流れ出て、周辺の筋肉全体がストレス物質で浸されるような感覚に苦しめられるのです。アゴについては増悪と凝りが共鳴した覚えがないのですが、アゴの下の筋肉が二の腕に比べて薄いため気がづかなかったということかも知れません。

当時の私は、上記のような分析もろくにできず、この苦しみがたいてい何時間ぐらい続くものなのか記録にも残さず、ただ患部の増悪という事態に直面するたびに途方に暮れ、これがこのままずっと続くのだろうかとおぞけ、恨めしげに患部を見つめるばかりでした。

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