そうして、皮膚の異常感覚だけにとどまらず、私は忌まわしい記憶を呼び起こす記念品に日常を取り囲まれていました。
言語について言うなら「猫」「オォイ(多い)」「しゃくれ」「損害賠償」「倍返し」「・・・しちゃったし」「あきらめる」「そうだよ」「反抗らしい反抗もできなかった」「私はなにも言えなかった」といった、その場の光景を表現するような語に触れると私は焦燥や憤りを覚えました。
音声については、「送る言葉」「旅立ちの日に」「思い出がいっぱい」のメロディが、TVや動画などで流れ始めるとすぐにそれを停止させました。ドアをノックする効果音を聞くと不穏に感じました。
視覚については、例えカップルの愛の証としての動作であっても、誰かが誰かのアゴを持ち上げるシーンを見ると記憶が蘇りました。Bと身体的特徴が似ている人物を、なんとなく視界から外すようになりました。
行動、についてですが、私には自分自身である動作をすると、それに関連する思い出を呼び起こす、という体質がありまして「自分の痒いところを指で掻く」とか「鼻でため息をつく」とか「(上を見るために)アゴを前に出す」という動作を行うと、私は、照明で照らしきれない体育館の薄暗さに、目の奥を一瞬ふさがれるのでした。こういう現象について、後に他の人に尋ねてみても「そんな体験した覚えない」と答えがよく返ってくるのですが、レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」で主人公フィリップマーロウが刑事に唾を吐きかけられてから自分の唾を飲むのも嫌になった、と描写されているように、私だけに特有のことではないかと思います。