【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その5

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私は先に、高校に行っている間は皮膚の不快感はなりをひそめたと書きましたが、それはそのほかの「三年生を送る会を思い出す合図シリーズ」についても同様でした。しかし、このことは単に他者がいる緊張感によって手回り品よりも外に注意が向いたというまでで、私が高校生活で友愛に包まれ、過去を薄めることが出来たという意味では決してありません。私の高校生活の大略は入学して5日の内に決定してしまいました。私が、自分から声をかけるのを臆している内に、他の同級生たちは休み時間や昼休みの毎に三々五々のまとまりに分かれて漫談をして、まとまりの成員同士が互いの見慣れ具合を日に日に強めるのを私は見て取りました。そうして5日目にして私は、学級内のどのまとまりも今さら私が歩み寄っても、そのことに意表を衝かれたという表情を一斉に私に向けるであろうという予想をかなりの確率に見積もったのです。
その瞬間から、私の顔には不愛想な造りをした肉付きの面が食いつきました。すなわち私は、自分のクラスメートが「世の中の人それぞれに多様な価値観があるように、人脈の多い者ほど良しとされる価値観が一般的であるとしても、その価値観に頓着しない人もありうるのかもしれない」と思ってくれる可能性があることを期待していたのです。私は人望の多い者ほど優位とする価値観に無関心たる人物に扮するによって、自分を見る他人に「孤独を苦にしている人」という印象を残らせにくくさせ、「人脈の少ないことによる不利益についてあげつらう」という私を自信喪失に陥らせる手段を思いつきにくくさせ、すなわち自分が精神ダメージを受ける機会を減らして、もって自らの将来の生存確率を上げたいという心理から、学校にいる間じゅう表情を仏頂面に固め、他人と積極的に視線を合わせない習慣を保つようになってしまったのでした。
私は常に、仮面の内側では、級友と雑談して楽しい時間を過ごすという大多数の人にとって標準である利益を、自分だけが逸している事実に耐えていました。
昼休みに限らず、例えば視聴覚室でビデオ鑑賞の授業が行われたり、調べ学習の班を分ける時であったり、レクリエーションで茶話会が催された時であったり、学級が一堂に会して思い思いの位置につく場面では、一般的に友人同士の親しみを深められて喜ばしいはずの場面では、私だけは自分の周囲に空間のあるのを視覚し、疎外感を増大させなければならないのでした。
しかも、私は他人に私の実情を推し量らせない為に、肉付きの面を身に着けたはずでしたが、高校生活が始まってから数か月も過ぎると、一部の同級生が、私からは何もしていないのに、私を軽侮しては愉悦に浸るということをし始めたのです。自らの脳内を快楽物質で満たすために、特定の同級生を貶めようという思考回路の持ち主が、どんな同級生をその対象にするかというと「クラス内で誰とも親密な仲を築けていない人物に対してならば不当な侮辱行為を働いたとて、その人物と同調して行為者に憤りをもつ者はいない」「また、学級内で誰とも交友を結べていない人物の方でも、後ろ盾のない卑屈さのために不当な侮辱行為を受けてもその行為者に反撃を行いにくいことが予測できる」「なおかつ、孤独な生徒を、孤独さゆえに不当に貶めることによって、行為者は自分が人並みに持っている人脈の価値を、より照り映えて感じられる他、孤独な生徒が孤独であるために受ける不利益を、自分の仲間にありありと見せしめることになり、仲間の一人一人に、人とつながりがある恵みを意識させ、もって自分の仲間との結束を強めることが出来る」という三つの根拠から、それは孤独な同級生を狙うわけで、そういう思考回路を持つ人の、積極的に孤独な生徒を探す視線の前では、私の肉付きの面など無いも同然であったのです。
その上、そうした快楽物質の慢性中毒者の人は、ともすれば学級内でグループ分けをする時に、案の定私の周囲に空間ができると、嘲笑した表情をして私としつこく目を合わせようとしてきたり、インターネットを使う授業の時に教師の目を盗んで、クラスの男子生徒を集めて「立瀬マサキは、クラスで誰とも交渉がないため、流布している情報が少ない」ということを、集まった男子生徒同士で確認しあうために、インターネットで私のフルネームを調べるという企画を興したり、まさに「人脈の少ないことによる不利益をことさらにあげつらう」手段によって侮辱を加えて来ました。
しかし、何度そうした体験を経ても、私は肉付きの面を外せなかったのです。肉付きの面に大した効果がないことには漠然と気づかされましたが、一学期が始まってから侮辱を受け始まる数ヶ月の間に、人間生活に理解がない振りをするための表情筋が鍛え上げられてしまっていたのです。それに、私に対する侮辱を働いている最中の行為者の表情は、仮面が破れて、私の内心の寂しさが漏れ出たら、すぐさまさらなる軽蔑するぞ、という心構えが見え透いていて、そんな目つきを見た回数が増えれば増えるほど、私はその者たちへの反抗心によって、却って肉付きの面の糊を濃くしてしまったのです。
以上のような高校生活での不満から、当時の私はいつでも気分が曇っていました。
さすがに新たに皮膚を毒で侵されることまではありませんでしたが、恨みを呼び覚ます合図が、Bに関する物がまぎれるほど日に日に数を増して、私の周囲に張り巡らされて行きました。Bからされた仕打ちが許せないから、Bを象徴する合図が目についたというより、その時の社会生活が不満だったからあらゆるシンボルマークが目についたのかも知れません。

ただそれでも「感覚器官が嫌な記憶を連想させるパターン」の内で、皮膚感覚の部署の働きが最もよけにくい物であり、B一人の悪事のせいで、いらだちの総和が底上げされたということは言えると思います。例えば、何か苛立ちが募っていて、布団で横になればおさまるかも知れない時に、ベッドのハシゴにのぼろうとしてふとアゴに物が触れてしまい、そのことで堪忍袋の緒が切れ、目の奥に浮かんだBの幻影に怒鳴り声を挙げるに至るという経緯が私の日常にたびたび見受けられました。

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