【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その6

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Bからの仕打ちに続いて、高校で理不尽な扱いを受けて、私は日を追って人間関係に自信を失って行きました。私は高校二年生の秋ごろに大学進学を選択肢から外しました。何とかして高校卒業にこぎ着けるまでが、羽が穴だらけになった私の最大限度の目標と考えました。現に、高校の在籍期間を終えた時には私は満身創痍でした。大学受験の流れを全く知らずに、どんな組織にも在籍しないまま18歳の4月を迎えた時、人によっては落胆し、世間的には気の毒がられる立場かも知れませんが、私はただ開放感に浸りました。私は浪人生の気分でもなく、来年受験の予定も立てていませんでした。
私の2008年4月からの計画は「同級生が大学受験の勉強に励んでいるような時期に『作家になるための必読書リスト』を片手にほうぼうの古本屋を回って買い集めた古今東西の名著と呼ばれる書籍たちとともに母方の祖母がいる福島に移り、書物を読み漁って筆力を鍛え、いずれは自ら小説を書き上げ新人賞を受賞する」というものでした。
こんな計画が練り上がったのは、脳裏にいくつも鮮明に残っている他人から軽侮された映像を薄めるために、誰にも人格を否定されない期間が欲しいという気持ちと、人付き合いができないながらも文名を挙げて、いわれなく私を貶めてきた学生時代の同級生を見返したい野心が混ざってのことでした。
それでいて私は、B毒やクラスでの疎外のことを言語で表現できなかったのと同じに、高校の時の同級生によって社会生活について自信を奪われたことからまたしても目を逸らして必死にこの進路の価値が劣らないと思いなすようにしていました。
私は、読書に励む場所を福島に設定する理由についても「福島にはゲームもインターネットもないし集中できるよ」ともっともらしい道理を自分に言い聞かせていましたが、本心では、子どもの頃から、行けば祖父母からの慈愛に抱かれた、良い思い出しかない福島の家で濃密な癒しを得たかったのでした。
そして私は、その進路を選んだ内実はおろか、表向きの「しばらくの期間、福島に移って読書に勤しむ」というタイムテーブル自体を両親に告知できていませんでした。私は「それなら小説の学校行けば?」とか「独りでやっても独りよがりな文章ができちゃうんじゃない?」とか「だいたい小説の賞を取れる可能性は全く高くない」云々と文句をつけられるのを恐れていました。
というよりかそれ以前に、この当時の両親との関係は最悪でした。私は、両親の前では常に眼つきをとがらせ、ろくに口を開かなくなっていました。それはひとえに両親は私が孤独に苛まれているのを半ば知りながら、高校に通わせたからでした。私は、学校に行くたびに嫌な思いをするという予期がぬぐえなくったある頃から、両親に「学校に行きたくない」という意思表示を何度か行ったのですが、両親はこれらを全て、世間体のためでしょうか、今までかかった学費を惜しんでのことでしょうか、事情も尋ねずに「行ってもらうから」とか「行けよ」などとにべもなく却下したのです。私はいつしか両親に弱音を漏らさなくなったのと同時に、両親を敵視するようになっていました。
ただ両親は、高校での私の傷心を推し量らないでもなかったのか、私が高校三年生に上がった後でも、大学に行くようにとせっつくことはあまりなく、家の中で通りがかった私に「大学とかどうすんの?」とか「四月からどうする?」などと時々尋ねることがありましたが、私は普段の挨拶を無視する調子でこれらを黙殺していました。実家にいたたまれないことも福島行きを選んだ理由の一つであったのです。
高校在学中にも、書物に手をつけないではありませんでしたが、本を買うより、読む方が時間がかかるのだから、すでにある本を読み終えてから最寄りのbookoffに次のを買いにゆけば良いようなものなのに、私は電車を乗り回してまで古本屋を巡り、積ん読の量は200kgにも及んでいました。私は、名著を買い集めるだけで作家になれる気がしていたようでした。
ともかくも4月の某日、私は大量の書籍とともに福島に向かったのでした。

〈第二章 ~浸蝕~〉 完

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