【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その6

というよりか私は、ドーパミンの慢性中毒者たちが介在しなくても、大学のクラス内で休み時間の度に、同級生たちが私だけを置いてけぼりにして楽しげにはしゃいでいるのを目の当たりにするだけで、来る日も来る日も昼休みの毎に、学生食堂の大きなテーブルのはじに一人で座ることになるだけでも、クラスメートの悪気のあるなしに関わらず、グループワーク?ディスカッション?ゼミ?の班決めで、私一人どの班からも誘われない、といった事態がたびたびあるだけで、不登校に陥る自信がありました。 “【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その6” の続きを読む

【B毒の汚染】 第四章~伝播~ その2

するとその皮膚には、ひりひりと焼け付いた感じがありました。どんな皮膚でも爪で掻いた直後には、そんな感覚が生じるもので、しかし普通は注意しないで流しているものですが、この時の私には、その焼け付きが病変の始まりかと思えてしまったのです。 “【B毒の汚染】 第四章~伝播~ その2” の続きを読む

【B毒の汚染】 第四章~伝播~ その3

その後の私は、自らの状況を善導しようとして、あらゆる策を講じました。
うずき感を発見してから時間が短いうちは、ふとした拍子にほんの1時間前までの平穏な日常を取り戻せる気がして「自分の指から不快感が移るなどということはないよ、4年間大丈夫だったじゃないか、そんな大事じゃない時間がたてば皮膚の違和感は消えているよ」などと空元気を言い聞かせたり、 “【B毒の汚染】 第四章~伝播~ その3” の続きを読む

【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その1

〈第五章~忘れられた坑道~〉

ローカル線で福島駅に着いてからは大宮行きの新幹線へ。私の大好きだった景色は私から離れていきました。
這う這うの態で電車を乗り継ぎ、脳裏に浮かぶ言葉はただ「橋谷メンタルクリニックの長谷部先生」でした。私には、埼玉に唯一の希望がありました。 “【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その1” の続きを読む

【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その2

一階に下りていて戻って来た母親が言いました。
「まーちゃん、お父さん、行けって」
手には、電話機の子機がありました。母親は、私の高校での事情を一語でも掘り下げず、それをする意図や必要性をまったく説明しないまま、父親に電話をかけたのでした。その必要性は「いきなり息子が高校を中退する恐れが出てきて、不安になったので早く安心したい」ということで、その意図は「安心するために問題への対処の責任をすべて夫に押し付けたい」ということであったのでしょう。 “【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その2” の続きを読む

【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その3

母親は、自分が出した解決案が採用されたことであたかも息子の善導について大きな権限を得たかのように、父親に電話口で「マサキは精神科に連れて行くから」と今日初めて、父親と対等に相談するような重い声で言いました。
それから母親は、電話帳で最寄りの精神科医を調べ、一駅しか離れていない場所にタクシーを使ってまで私を連れて行ったのでした。 “【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その3” の続きを読む

【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その4

さて、連れて行かれた隣町の精神科外来という場所では、壁沿いや間取りの中央に長椅子がいくつも並べられている、消毒液臭い7メートル四方ほどの待合室があり、座面は肩擦れ合うほどに人で埋まっていて、何人か立って待っている人や、診察券を出して空席が無いのを見回して、外に出かけて行った人もありました。
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