【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その3

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母親は、自分が出した解決案が採用されたことであたかも息子の善導について大きな権限を得たかのように、父親に電話口で「マサキは精神科に連れて行くから」と今日初めて、父親と対等に相談するような重い声で言いました。
それから母親は、電話帳で最寄りの精神科医を調べ、一駅しか離れていない場所にタクシーを使ってまで私を連れて行ったのでした。
母親も、私の発言した「学校」「友達」というヒントを耳にしていたのに、単純に「発言者の学校における人間関係に関する考察」という論題に目を向けなかったのは今日でも理解に苦しむところです。
母親は「息子が高校を中退する可能性が出てきたこと」と「また息子の退学と夫の怒りが連動しているのが窺えること」の二つの判断材料を得た瞬間に「もし息子の高校中退が現実の物となった場合、自分にも夫の怒りが向けられることになる」と想定に入れ、その未来を起こさせないことを最優先事項に置いたのだと思われます。
「学校で友達と何か嫌なことがあったの?」などと言って悩みを聞く姿勢を表すのは、「息子の高校中退を事情によっては認めた」ような格好になってしまう、息子が高校中退することを軽く考えるようになってしまう、すなわち息子が将来的に高校を退学する確率を上げてしまう、母親にとって恐ろしいことであったのでした。
元気がでないんだったら、となにやら理屈をつけていますが、母親は、息子は友達が出来ていないから元気が出ないのではなく、気力の源が無くて、友達をつくる意欲がでないのだ、と事実とは逆の因果関係を言い聞かせて、精神科医に丸投げするという方法の中に、息子を学校に行く状態に戻せる魔法のような効果があると自分に信じ込ませて、安心したいと考えたところもあったと思います。
母親にもまた「息子が学校に行きたくないと言い出した」という異常が現れた初日なら、まだ昨日までの通常な状態に戻せる段階であると短絡的に思い做したいホメオスタシスが働いていたのです。
そうして母親は、私を精神病者扱いすれば、もし歴史の歯車がどうかこうかして私が高校を辞めるという事象が起こった時に、夫に「マサキは精神障害者だから仕方なかった」と言い訳が出来るようになるとも計算に入れていたに違いありません。
私は、母親の発案を一聞して怒りを覚えました。
学校に行きたくないと言い出す前には、慰めてくれるかも知れない、とやや期待を抱いていたのに、裏切られた思いがしました。
母親は将来的に父の怒りをなだめるために、私を言動の制御に異常のある人間に仕立て上げようとした訳ですが、私にとっては、追い詰められた末にやっと搾り出した悲鳴を、真に受けない態度を示されたとしか見えませんでした。
また私は、実際に精神科受診経験者にさせられた場合の大きなデメリットを計上していました。
高校在学時点の私は、精神科病院に対し強いマイナスイメージを持っていたのです。
それまで生きてきた中の「精神異常」に関する見聞をまとめたところでは、新聞や緊急特番などのメディアで、刑事事件の犯人に精神科への通院歴があったと触れられるのを見たり、映画で、大きな不幸を受けた人の発狂するシーンが悲劇的に演出されているのを視聴したり、大勢の人が行き交う大通りの真ん中で急にジャンプして拍手を打って「閻魔!!」と叫んだおじさんを見かけたり、町内で、同じおじさんが誰もいない方向にすごい剣幕で繰り返し罵っているのを複数回見かけたりしたことが強く印象に残っていて、自己にとって危険かも知れない種類の人を生存のために明確に区別したい心理も根底にあったと思いますが、当時の私が「精神障害者」という語から思い浮かべるのは、最も主には「肉体は健康なのにそれを制御する中枢に異常を来たした、他人に危害を加えて顧みない治療困難な怖い人」の状態像でした。
私が精神科受診経験者であるのを知られた場合の他人の反応の予想も自分の価値観からの類推となっていて、また実際に、私の同級生が、「精神科行けよ!!」とか「あいつ絶対しんしょー(精神障害者)だよ」と、精神障害者を頭から否定する言動をしている場面も何度か目にしていて、私は、もし母親の提案に従えば、今以上に自分に自信を失ってしまうし、若い身空でこれから一生涯会う人会う人に後ろ暗い思いを覚えなければならなくなる、と怯えました。もちろん私は、精神病の種類にはうつ病や拒食症など本人だけが落ち込む物もあるのも知っていて、母親は私をその方面の精神病の患者と見做したいのだと認識していました。私は当時でも、本人だけが落ち込む精神病の人にことさらにマイナスの偏見はなかったつもりですが、それでも、自分の元気が「出る/出ない」が、学校に「行かない/行く」によって切り替わるのを粗大な前提としては感じていて、「精神の器質的な異常によって根本から元気が出なくて専門家の手助けが必要な人」と扱われるのは不本意でした。

以上の通りに、デメリットばかりが目に付くのに、私が母親の提案に従ったのは「学校に行きたくない」と口にしただけで、ここまで理屈ぬきで怒られるとは予想外で、両親に見捨てられかかっていると思うとセンチメンタルになってしまったためであり、かつまた、両親にとって息子の高校中退がどんなに不都合なことであっても、私にとって学校が鬼門なのには変わりないわけで、その事象が将来的に現実の物となる確率は決して低くないと思えたからでもあります。私は、他の多くのデメリットよりも、精神病者として扱われていれば、運命のサイコロの「高校中退」の目が出てしまった場合に、父親が激怒する度合いを和らげられる、という利点を優先させたのでした。
また私は、心の調子が出ないと理由をつけて、中退に至らない範囲で学校を欠席したり遅刻したり早退できるようになることをきらびやかな利点に計上していました。通知表の評定や内申の体裁を取り繕う気持ちはすでに失われつつあったのです。
ところで、精神科病院に通う人へ総体的にマイナスイメージを持っているのは、母親も同じであったと思います。
母親が「学校行かないんだったら、精神科!!」と発言した段階では、母親の中には、これまで挙げた心理とは別に、次に述べる計略も混ざっていたと思います。
最近(2015/02/22)、私が母親に「あの時のあの発言にはこのような心理も混ざっていたはずだ」と問いただしたところ、母親は「いや、そんなつもりはなかった。自分は純粋に、精神科病院はメンタルヘルスに悩む人が精神療法を受けて善導されるだけの、ポジティブな場所だとしか思っていなかった」という主旨の抗弁をしましたが、それは私に対してと、自分に対しての欺瞞であるのです。
母親が「学校行かないんだったら精神科!!」と発言した前刻には、脳裏に「大多数の中高生は精神科外来に対して負の偏見を持っていて、そこに行かされることを不名誉なことだと思っていて、息子もその例に漏れないだろう。息子に、素直に学校に行くことと、精神科外来にかからせられて不名誉を味わうこととを天秤にかけさせれば、息子から『学校に行く』という言葉と行動を引き出せるかも知れない」という期待がこもっていたと思います。
そうでなければ、精神科病院のことを「そういう」などとぼかした言い方をした理由が説明できないし、肉声を耳に入れた身からすれば「学校行かないんだったら精神科!!」には確かに、脅迫の語調が含まれていました。

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