【B毒の汚染】 第五章~忘れられた坑道~ その4

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さて、連れて行かれた隣町の精神科外来という場所では、壁沿いや間取りの中央に長椅子がいくつも並べられている、消毒液臭い7メートル四方ほどの待合室があり、座面は肩擦れ合うほどに人で埋まっていて、何人か立って待っている人や、診察券を出して空席が無いのを見回して、外に出かけて行った人もありました。
誰かれかまわず因縁をつけて回る人や、独りで支離滅裂なことをつぶやき続けている人や、服が汚れたまま気にしない人なども三割くらい交ざっているかも知れない、と先入観がありましたが、みんな静かにうつむいて座ったままでした。ほとんどの人は、センチメンタル系の精神病患者なのかな、と思い直しました。ただ10代の年齢と見える人は居ませんでした。
この日の診察では、問診票に記入の後、30分程度のカウンセリングを院長とカウンセラーからそれぞれ受けました。付き添いの母親も、診察室とカウンセリングルームに呼ばれて何か聞かれていました。その後、母子で診察室に呼ばれ、診断の言い渡しと治療方針の説明がありました。
他の来院者の診察もあったため、精神科医の問診とカウンセリングを受けるまでと診断を言い渡されるまで、それぞれ一時間以上間が空き、受付に申し込んだのが朝の9時半くらいでしたが、すでに夕方となっていました。
問診票の内容や、診察時の質問事項を正確には覚えていないのですが、私は病院内でやはり溶岩が染みたスポンジを自分でもつつけず、また急に無神経につつかれる事態への生存本能による恐れがあり、初対面の他人である精神科医やカウンセラーには、両親に対してよりなおさら、悩みの核心に関するヒントを漏らせなかった、ということは言えます。
受診に至った経緯を尋ねられたはずですが、私は、「学校に行きたくない」と発言したことが発端なのも述べられず、あたかも以前から自分が精神病かも知れないと悩んでいて、自分の意志で精神科を受診したかのように装ってしまったのです。
建前の悩みとして私は、「最近教室でのクラスメートのしゃべり声とか笑い声や、遠くにあるテレビの音声や、隣の家の夫婦喧嘩の問答が、妙に耳についていらいらする」と、枝葉的な部分を話しました。
精神科医とカウンセラーに30分ずつ、計一時間かけた結果の口述としては、少ないような感じですが、面接の最中、私は今にも高校生活の詳細に関することへ話頭が転ぜられないだろうか?と恐れていて、時間を消費させるため一個一個の回答をするまでに間をおいたし、口述のスピードを無意識に遅めていました。
精神科医は何度か、「最近教室でのクラスメートのしゃべり声とか笑い声をストレスに感じるのですね?」などと総括しました。
それでも時間が余り「学校で友達はできていますか?」といった直接的な質問ではないまでも「学校はどうですか?」と、全体的な聞き方の質問が一度出てきました。
私はそれには、「自分はクラス内で、優秀な学業の成績を取り、周囲から一目置かれている」というような返答をして、勉学に打ち込むことによって学校での人間関係の悩みから超然としている、冷徹な自分を演出してしまいました。また私は、「勉強に集中したいのに、雑音が気になってできない」とつけ加え、前の回答と整合性を持たせました。
その他、カウンセラーから「休日にやっている趣味は何かありますか?」という質問をされて、私はこれにも長い時間を置き、「テレビゲームなんかは?」と促されて、「はい、そう、テレビゲームとかも・・・」とやっと回答をしました。私は、テレビゲームとかインターネットとかとは別の、何か快活な趣味を挙げようとして思いつかず、返事ができなかったのですが、カウンセラーは休日でも何かをする意欲が乏しい証拠ととったかも知れません。
そして、問診票への設問ですが、その内容は、「気分が落ち込むことが多い」「人に影響されやすい」「食欲が出ない」など、例示した心理状態が日常にありがちかどうかを「良くある」「時々ある」「どちらとも言えない」「まったくない」といった4段階で定める物であったと記憶しています。
私は「気分が落ち込むことが多い」とか「人からどう思われているか気になる」とか「几帳面な性格だと思う」といった、センチメンタルな事とか、常識を持っている事の証明となりそうな質問には「時々ある」に丸をつけ「急に気分がハイになることがある」とか「周りからいつも悪口を言われているように感じる」といった質問には、「まったく無い」に丸をつけました。この日診断名が下されるのは避けられないとしても、せめて反社会的な状態になることもある精神病名がつくのは免れたいと考えたためでした。

精神科医は私を「うつ病」と診断しました。そうして「あなたに適した療法としては、投薬療法」と方針を言い、数種類の精神薬を処方しました。そして私はこの翌週と、それからは先は隔週で通院治療を受けることとなりました。
私は、精神科医が真面目くさって診断結果を言うのを見て、「ドラマの愁嘆場のデティールになったり、ドキュメンタリーの題材になったりする『登場人物がうつ病と診断される』という光景が、自分の出まかせの答申だけで現実のものになるなんて社会の構造もずいぶんいい加減だな」と他人事のように感じていました。

ただ、私が問診票の内のセンチメンタルや自分に厳し過ぎる事に関する悩みの段階評価を最大にしなかったのは、センチメンタル方面の鑑定をされたい上で、願わくばその内でも、「自律神経失調症」とか「気分変調症」とか「病とまでは言えない」といった、軽度そうな診断名をつけて欲しいという微意を込めてのことであったのですが、その祈りはくじかれ、私はやや気落ちを感じました。

一方で、医師の口吻を食い入るように見ていた母親は、診断結果を聞いて、ホッとため息をついたことと思われます。自分の出した提案が合っていた!消費した半日が報われた!そして、息子が「学校に行きたくない」などと言い出すという血迷った動作をしたのは、全て心の病が原因だったのであり、医者の言う通りに薬を飲ませ続ければ、もうそんな事態はもう起こらない!と希望を持ったことと思います。うつ病の進行による私の自殺を未然に防いであげられた、と恩着せがましいことすら考えたかも知れません。

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