さらなるコンテンツ
さらに私は、「孤独図鑑」の延長上のコンテンツとして「いじめ図鑑」という企画を立てました。
これは、私自身がいじめをうけた際の状況や、教室の空気や、自らの心理描写や、加害者の言動と外面描写を、入念に小説に書き表した物を並べたコンテンツで、「孤独図鑑」と同じ要領で、やはり現在いじめ被害を受けている当事者の子が、悩みの核心を他人に打ち明けやすいようになる効果を期待したものです。
当ブログでは、読者の皆様からの、いじめ被害を小説化した作品を、前回の記事で述べた学校での孤独体験の募集とともに、下記のページにて受け付けております。
いじめ問題のことを論じた書物には、たいてい「いじめ被害者は被害のことを周囲になかなか言えない」ということが触れられてあるもので、その説明としては「いじめを受けていることがみじめで恥ずかしいと思うからだ」という一般論が書かれていることが多いものです。
時には、そのページの余白に、学校の机に座った子どもの挿絵が描かれて、煙型の吹き出しがつけられ、吹き出しの中に「いじめられてるなんて、恥ずかしくて言えない」などと書かれてあることもありますが、それは厳密には現実の事象を正確に描き表してはいないのです。現実のいじめ被害の当事者は、「いじめ」とか「恥ずかしい」という言葉すら心の中で作ることはできないのです。
ティーンエイジャーにとっては「学校で友達ができていない」という状態だけでも口に出すのが辛い事なのであり、当然、「卑劣な同級生から、いたずらに楽しい学校生活を奪われている」という状態に陥ったのを思案することは、孤独のことだけを考える時よりも、さらにパワーアップした胃の裏の焼け付き感を味わうということなのです。もし、現実の当事者が、自分の人間関係のことを少しでも分析しようとした場合の心の声は「!熱い!痛い!!内臓が焼け焦げて死んじゃうよ!!!早く考えるのをやめたい!!!!」という物になるはずなのです。
そんな子どもたちから、心の本音を引き出すための触媒であるいじめ図鑑を完成させるためには、孤独図鑑よりもなお多くの方に「かつての自分の弱さを認めた文章が書かれた紙面」をご提供いただくことが必要になると思います。
この事業のプロセスは、地道なようですが、実はこういうやり方が、日本のいじめ問題を解消するのに、一番の近道だと私は考えています。
TV番組で「いじめをなくすにはどうしたらよいか?」という論議がなされるときには、だいたい「いじめ加害者を厳罰に処せばよい」とか、「スクールカウンセラーをもっと増やせばよい」といった対策が語られるようですが、「いじめ被害者は、あらゆるマイノリティの内でも格別に、自分が苦しめられているのを認めることが難しいマイノリティである」という前提を抜かしては、どんなに対策を練っても、その意味は半減してしまうと思います。
いじめ加害者によって自殺させられた子どもの遺書にすら、「自分はいじめられた」という文言が入っていることは少ないのです。ましてや、「何月何日に○○○○という奴からこの場所でコレをされました、××××という奴からあの場所でアレをされました」などと、裁判にそのまま使用できるような説明をしてある遺書はまず存在しないのです。
「学校で人間関係がうまく行かない場合に胃の裏に埋め込まれる劇薬入りのスポンジ」が、その子たちに最期までつきまとったということだと思います。
さらに、「自分の過去のいじめ体験を客観的に詳しく小説に書く」という取り組みは、「心理描写学研究所の目的」でも触れたように、学校でいじめを受けたまま何もやり返せずに、嫌な思い出を残してしまった人にとって、その映像を心から薄れさせるための精神療法でもあります。いじめ図鑑に並べた記事は、私が実際にそのことに取り組んだ成果物でもあるのです。
いじめ図鑑の企画はもちろん、写実文学の持つ、「嫌な思い出を薄れさせる効果」を世に広め、これを励行することもまた重要な目的の一つに置いています。
いじめ加害者は軽々しく、自分の脳内を一時的に快楽物質で満たすために、一瞬で加害行為を完遂するけれど、被害者にとっては、その後何年にもわたって加害行為の現場で目に入れたオブジェクトに触れるたびに何度も地団太を踏まされて、トータルでは膨大な時間を使わせられる可能性もある一大事なのです。いじめを受けた末に引きこもってしまい、社会生活に関する印象を上書きできない状態になってしまった青年の場合は、なおさらのことです。
いじめ図鑑の拡充を図ることは、「人の脳内から嫌な思い出を消させる」装置をより高性能にしていくことでもあるのです。
今現在の、いじめ被害者と、過去のいじめ経験者は、お互いに助け合える関係にあります。在学中のいじめ被害者は、大人のいじめ経験者の方から弱さを打ち明けることによって、自らの似た悩みを吐露する勇気を持ちやすくなるし、大人のいじめ経験者は、自分の受けた不幸な経験が、若者の役に立つと思えば、小説に書き起こす意欲につながるし、書き上げた後には、前出の曝露反応妨害法の作用と海馬の機能面の作用に加えて、適応規制の一種である「昇華」の作用が加算されて、自分の体験についてのストレス感をより低濃度に薄めさせることができるのです。こうして、過去のいじめ被害者と現在のいじめ被害者の間に、美しい循環が作り出されるのです。
そうしてさらには、孤独図鑑やいじめ図鑑は、学校時代に孤独問題、いじめ被害に遭わなかった非当事者の方にも、当事者の深刻な実態を理解してもらえるための資料にもなるはずです。学校生活は誰しも一度しか経験できないことなので、それに対するイメージや概念は人によって大きな落差が生まれてしまうのです。いじめ被害当事者の会合でいろいろ話を聞いていると、いじめ被害に悩んでいるのに、父親から「高校生は一番楽しい時期だからな」とか「友達、出来たか?」などと、話題を振られてイライラした、というようなエピソードがいくらも出てくるものなのです。
私はとにかく、いじめを受けた体験のことを、具体的に、詳細に、俯瞰的に小説に書き表すことが良しとされる風潮を、どんどん振興させていきたいと考えています。