【B毒の汚染】 第四章~伝播~ その2

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するとその皮膚には、ひりひりと焼け付いた感じがありました。どんな皮膚でも爪で掻いた直後には、そんな感覚が生じるもので、しかし普通は注意しないで流しているものですが、この時の私には、その焼け付きが病変の始まりかと思えてしまったのです。
そうして今度は、そのあたりの皮膚に冷感が流れ込みました。ムヒを塗った時とか、冬場にその辺に置いておいた携帯電話をポケットに入れた時とかに似た、実物のような冷たさでした。
この冷感というのは、後の分析によれば、「冷や汗をかく」とか「血の気が引く」とか「背筋が凍る」とかいうのと同じものでした。
その三つの慣用句が表す感覚が恐れのことであるように、冷感の源は「B毒という疾患の新たな側面が現れ出る可能性があることへの脅威」そのものであったのでした。
しかしこの時の私はそれに気づけず、そのことを、皮膚そのものが毒に冒され変質しつつある根拠の一つに数えてしまいました。そしてこの冷感は、恐れが低温を呼び、また病変への疑いを深めてまた恐れを呼び、また血を冷やすという、悪循環で強まって行きました。
ただ、「冷や汗をかく」とか「血の気が引く」感覚は、普通、背筋や顔中など全体的に感じられるものですが、この時は気にしている皮膚に集中して感じられ、それは初めての体験でした。
また就床してすぐの時、布団で拭ってやり過ごしたふりをした左手指の不潔感もぶり返し、無論ながら背中の気にしている部分も、同じ心理に染まっていました。私は、自分の指ごしからでも不快感が伝染る可能性があるという疑いが晴れるまで、B毒が付着している部分を覚えておかなければならないのでした。心の騒動が始まってすぐの段階で、洗面台へ行き石鹸で指を洗いに行きましたが、時すでに遅く、浮き上がり感は流せませんでした。
私は、上記三つの皮膚感覚が消え去るのを、今か今かと待ち望みました。しかし、それは一向に叶えられませんでした。
皮膚を掻爬した焼け付き感に関しては、時間が経てば、生理的にはあるいは消失したものかも知れませんが、私はともすれば、Bのせいで左手で体を掻くという動作を制限されかかっている自分に腹が立ち、いきり立って、同じ部分を掻きむしり直してしまっていました。
そうこうしている内に、気にしている皮膚には、第四の異変が現れました。
それは、うずき感でした。皮膚に乗った服が不自然に重く張り付き、もぞもぞする、服と肌の間になにかさしはさまって、反発するような感覚でした。今までとは異なる、物的な違和感でした。
さて今夜、最初に爪で深く毒を塗りこんだと思い込んだのは、思い返せば、背中の、左の肩甲骨の内側という部分のはずであったのでした。
にもかかわらず、この時に私の思考の照準は、首の後ろという上方部分に、冷感も不潔感も一緒に、丸ごと遷移していたのです。
肩甲骨を掻くために手を伸ばすとき、首の後ろを指が通る可能性は十分考えられることで、皮膚の正常を疑う候補地の一つに、その部分が挙がってもおかしくはなかったのですが、いつしかそこが不安の本拠地になり代わったのは、その部分が、服の後ろの襟ぐりがつかず離れずになる、後ろ髪がつついたりつつかなかったりする、枕を当てたり離したりできるという、物品を随意に接触させるのに好都合な部分であったからでした。私は先ほどから、B毒に特有の症状が始まっていないのを確認するために、後ろ髪をひっぱって降ろしたり、枕に仰向けに寝た頭の浮かせ具合を調節したり、丸首トレーナーの後ろの襟ぐりを、首の下半分までたくし上げて、枕と首の間に敷かれたそれを、むしろ通常では滅多にないような波状にたわめた形にしたりして、毛先や枕カバーのけばやネックリブの隆起を、嫌疑の皮膚に、わずかでも染み出た不快感を見逃さないための、そっとした触れさせ方で触れさせては、異常がないかどうか切実に自問自答する、という試験を繰り返してしまっていたのです。ただしこの時、私の注意は首の後ろの、特に左側に集中していました。それだけが、最初の発端を物語っていました。そうして、私の言ううずき感は、確実に安心したい心を以って、皮膚を物で衝いてみると、その響きが従来よりも多い気がして、それが病変の始まりかかっている兆候のように思えて怖くなって、物品をつけたままにはいられず、離すが、今度こそはと、正常な感覚を期待して、再び物を乗せる、すると、さっきよりもさらにまとわりついている気がする、という反復の内に形をとり始めた物であったのです。この時の私は、皮膚にB毒が生じかかっているからそこに当たる服の感覚がおかしくなった、と思い込んでいました。
しかし、ずっと後に私の身体に起こった現象を分析した結論を言いますと、この時私は単に「服を着れば服の布の質量が皮膚に載る」という自然現象をことさらに意識したに過ぎなかったのです。私はこの夜、ずっと長い間当たり前すぎて目に付かなくなっていた、
服の肌触りが在るという現象を、それが比較的わかりやすい服の境の部分で、物新し気にまじまじと見つめ、そのことを、病変の始まりと勘違いして、B毒の再来を避けたい一心で、何としてもそれを取り外そうとしたのです。
しかし、実際に物質が載っているのに、何も質感を感じないようにするのは不可能で、それどころか、取り外そうという試みは、何を取り外したいのかを意識し、「たった今取り外されただろうか?」と検討することそれ自体によって、服の布の当たり方を深く洞察する努力となり、却って服の感触を判定する心を鍛えさせ、不必要にその感覚を強させ、疼き感を生じさせるところとなったのです。
ただ、渦中の私には、知る由もないことでした。この時の私には「化学物質にもよらずに、皮膚の一部分に違和が生じる」という概略の似た事態が起こっただけで、B毒の新規出店を信じ込むのに十分な証拠となったのでした。

 

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