【B毒の汚染】 第四章~伝播~ その5

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さらに、思いもかけず今まで潜在意識下に埋もれていた不安の種が芽を吹きました。
私の新たな論題は、統合失調症への恐れでした。1
私は、高校課程を一年ほど過ごした頃から、遠くから聞こえるさざめきや、ファミリーレストランで沢山の人が交わしている会話や、埼玉の実家の、隣の家の夫婦喧嘩や、古本屋で居合わせた老人が、口の中が乾いてつばを作るためなのか、繰り返し舌鼓を打つ音を出していることなど、具体的な言葉を取り出せないような人声がある状況で、苛立ちを覚えるようになってしまっていました。喧騒に沸く教室で、自分だけ取り残されたことを思い出すのか、ドーパミンの慢性中毒者たちの、遠巻きにぎりぎり聞こえるように言ってくる陰口を連想させるのか、これもまた聴覚的に嫌な記憶を呼び起こすオブジェクトの一種であったわけでした。
そして、そのようなことに苛立つ自分に想到すると、心の裏には必ず幻聴の症状がでつつある兆候ではないか?という発想がよぎっていました。
私は、自分が知り得る、また実際に罹る確率をそこそこ見積もれる病の中でも、幻聴という疾患を殊さらに恐れていました。同級生からの悪口に、実物に対してですら言い返せなかったのに一人になれる所でも追い回される現象など以ての外でした。
そのように幻聴への恐れを抱える中で、何かの機会に、統合失調症という、幻聴を主症状に有し、さらには悪化すれば自殺したくなってしまうらしい病の存在を知ると、その概念をなおさら恐ろしいと思いました。
いつしか私は、雑音への苛立ちを感じると、統合失調症に罹って幻聴に命令されて、ビルから飛び降りる自分の姿までもを瞬間的に脳裏に照らし出すようになってしまっていました。ただ、この時まではそんな発想が浮かぶたびに、急いで振り払ってこれていたのでした。
しかし今夜に至っては、あるいは自分の思考がわだかまった末に触覚の異常が現れ出たゆきさつから聴覚にも同じような流れで異常が生じる可能性があるのではないか?と想定されたこと、あるいは精神医学の本に、「統合失調症の症状の一つに不眠がある」と書かれていたのを覚えていて、不眠が続いている今の状態が統合失調症を誘発する予感がしたこと、あるいは従前から、そうならないで欲しいと願えば願うほど、それがかなわないといういきさつばかりを味わって、ネガティブな憶測を止める力が完全になくなっていたこと、あるいは精神的ダメージが嵩んで精神疾患に罹りやすくなっている今この時こそは統合失調症に対して手厚い警戒をしなければならない、と単純に生存本能に警告されたこと、という四つの要素が助勢し、私は瞬く間に自分が統合失調症にかかりつつある発想に取り付かれてしまったのでした。そうして、耳に意識を集中すると早速耳鳴りが強く鋭くなり始めるのを感じました。
私は、自分の身体のことから気を移したくて、現実の音で耳鳴りを紛らせたくて、普段はあまり見ないテレビを点けました。モニター内の情報は、ある程度は自然な形で、私の気を逸らしましたが、半分くらいの時間は、通常ならばまるで関心を持てなかったような放映で、私は、そうした内容にも何とか興趣を見出そうとすがりついていました。やがて未明が訪れ、テレビのどの局も砂嵐や試験電波に切り替わりました。私はときどき、要請しても要請しても従わない自分の身体を憎しみ、「もう自分死ね」などと号して、念力で自分の身体を投げ捨てようとするような力み方をしました。しかし、そうした行動をするや否や、そんな思想を持ったことによって、自分の保護本能が機能停止してしまい、次に眠りに落ちた時、夢遊病のように台所へ歩いて、本当に自分の首に包丁を刺してしまうことになるかも知れない、という発想が浮かんで、慌てて前言を撤回するのでした。私は数ヶ月前に、新聞に「座禅のやり方特集」が四日間連載されたのをスクラップしたことがあり、(普段からメンタルヘルスに関して自信が無かったのを意味するわけですが)それを取り出して来ました。私はもはや万策尽き、むしろ心の声で議論するたびに困難がきわまるパターンにも呆れると、座禅を組むことによって心の声を鎮めて、今残っている精神的エネルギーが減る速度を遅らせ、少しでも生き永らえようと考えたのでした。
「統合失調症の患者には、脳の萎縮の所見が診られることが多い」というどこかで読んだ記述が念頭にあり、呼吸法の工夫で酸素を充分に脳に送り込むことによって、統合失調症に罹るのを食い止められると思うところもありました。
私は新聞に載っている通りに結跏趺坐を組みましたが、手の組み方は、両手を重ねて両方の親指同士をくっつけるやり方はためらわれ、手を開いて両膝にそれぞれ乗せる、ヨガ風の位置取りに変えました。座禅を組むことは、なるべく下腹部を膨らませる息の吸い方の工夫や、鼻で息を吸う秒数と息を止める秒数と口から吐く秒数を厳密に測る動作などに意識を移すことができて、自然と心の声を減らすことができる、今までの思いつきの中では比較的楽な時間の過ごし方でした。ただ、心のどこかに、「座禅を組んでいる」というステータスを得たことによって仏の霊力がもたらせれて、皮膚のうずきも、幻聴の不安も、胃の下の熱い血の逆巻きもまとめて劇的に好転し、安らかな眠りにが訪れないだろうか、と期待するところがあり、時には、自分の欲しい生理感覚を探す徒に還ってしまいました。

私は結局一睡もしないままでした。そうして朝の8時半になると、祖母がいつもの調子で朝食の用意ができたと呼びにきました。胃は血流で下から押し上げられて食べ物を弾み返すようでしたが、私は何とか詰め込み、それから祖母に「風邪を引いたみたいだ」と布石を打ち、昼食は食べないと予告しました。部屋に戻った後には再び呻吟の病床に居たり、あるいは小説の製作メモの用紙に辞世の句の如くに、悲嘆の叫びや、心の動向や、身体感覚の表現や、昨夜の寝しなからのいきさつを記しました。
それに、「人が憂いを抱えると書いて優しいと読む」という格言の通りに、私は優しくなっていました。
高校時分に、同級生から法益を害されても反抗できないストレスから、母親に些細なことで暴言を吐いたり、後には完全に意に介さない態度を取ったことや、電車で女の子たちに席の広さを譲らなかったことや、野球少年たちにボールをぞんざいに返したことなど、今まで攻勢を向けた相手が思い浮かんで、その一人一人に詫び言を書きました。生存に自信がなくなったことによって、死の間際に慰めてくれる人を確保したい心が募り、人を憎む、すなわち敵を作るチャネルは固く塞がれていたのでした。またその他、今では懐かしい、健康であった身体が焦がれて、「もし元の身体に戻れたらそれだけで幸せなことに感謝し、遊びは全部捨てて空手にまじめに取り組み、小説を毎日欠かさず熟読する、もうお酒は飲まない」と殊勝なことをしたためました。「父母の恩に報いる」とか人の徳らしい標語を口にしたり「健康な身体」の価値を痛いほどわかった自分を演出すれば、神に気に入られて、画期的に困難が解消されないだろうか?という、神頼みの気持ちも混ざっていました。
私は、座禅なんていう精神衛生に特化した行動を取り始めた時から埼玉の実家に戻ることを思案に入れていました。自分だけで事態に善処できる見込みも、自然に快方へ向かう見立ても一刻一刻朽ち果てるばかりでしたが、Bの不法行為が原因で、史実上の祖母宅にいられなくなった日数が加算され始めるのを見るのが苦痛で、決心しかねていました。ボーっとする時間もありましたが、おおよそ尚も眠れずに時刻は夕方4時となりました。
私は、祖母に「風邪がこじれてきたので、埼玉のかかりつけ医のところへ行くために、急に帰らなくてはいけなくなった」と言いました。
「保険証もないし・・・」
「松浦先生んとこなら、長くかかりつけてっから、後からだって大丈夫だぁ」
「うつしたくないから」

〈第四章 ~伝播~〉 完

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  1. 投稿者注釈:『【B毒の汚染】第四章~伝播~ その5』とそれ以降のいくつかの投稿には、かつての私の、統合失調症へ罹患することへの病的な恐れが描かれています。
    現実に統合失調症という病と向き合っていらっしゃる方やその支援者の方にとっては大きなストレスに感じる内容であるかも知れず、大変に申し訳なく思います。
    文献をいくつか読了し、また、訪問介護士として実際に統合失調症の方のケアを行って、統合失調症のことをある程度勉強した今現在では、当時の私の生半可な知識と強い偏見はとても恥ずかしく思います。
    ただ、本文中の私が味わった状態は、精神医学では「パニック発作」と呼ばれるもので、パニック発作の最中の人物が、「パニックの嵩じていく感じが精神疾患の生じる予兆のように思えて(精神疾患=錯乱という偏見も混ざっていて)さらにどんどん焦ってしまう」ことはまさに典型的な事象であり、そして強迫性障害の患者が一度以上パニック発作の経験を持っていることは大変に多いものなのです。パニック発作への悩みが大きくなった場合の強迫性障害の方(一度パニック発作を経験して、電車内、映画館、歯科医院などパニックを起こしやすい場所でまたパニックを起こすのが怖くて行動範囲が極端にせばまってしまった状態の方)には、「パニック障害」という兄弟分にあたる診断名が追加される物なのですが、その二つの診断名を受けている方もかなり多いのです。
    学校での孤独に悩んでいる生徒と同じく、強迫性障害の患者にとってもまた、同じ悩みを経験した当事者の率直な体験談が回復への大きな力になるものであると私は考えています。当ブログの企画は、現在は思春期の悩みの体験談を集めることを主にやっていますが、いずれは強迫性障害、パニック障害の方の体験談を集める企画もしようと考えています。
    「B毒の汚染」全体が、「強迫性障害という病の周知」を重要な主題の一つに置いた小説であります関係上、本作中では往時の私が持った発想、発話した心内語をなるべくありのままに写実する立場をとることを選びました。
    どうぞご理解をいただければと思います。

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