【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その6

Bからの仕打ちに続いて、高校で理不尽な扱いを受けて、私は日を追って人間関係に自信を失って行きました。私は高校二年生の秋ごろに大学進学を選択肢から外しました。何とかして高校卒業にこぎ着けるまでが、羽が穴だらけになった私の最大限度の目標と考えました。現に、高校の在籍期間を終えた時には私は満身創痍でした。大学受験の流れを全く知らずに、どんな組織にも在籍しないまま18歳の4月を迎えた時、人によっては落胆し、世間的には気の毒がられる立場かも知れませんが、私はただ開放感に浸りました。私は浪人生の気分でもなく、来年受験の予定も立てていませんでした。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その6” の続きを読む

【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その1

〈第三章~涵養~〉

大荷物とともにいきなりやってきて「いつ帰るの?」と聞かれてものらりくらりかわす私に、祖母は初めは驚いていましたが、一か月ほど後に私を追って里帰りした母親とも談合があり、母親は私が人間関係に躓いたことをややほのめかしたのか、祖母にも昨年の秋に祖父の亡くなった寂しさがあったのか、とりあえず私はしばらく福島の祖母宅に置いてもらえることになりました。
私はようやく社会生活から解放されましたが、私の周囲にはなおも学生時代の負の遺産が影を落としました。 “【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その1” の続きを読む

【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その2

主な負の遺産の一つが「神経質」でした。
私は、高校課程の後半を経た頃から、自分で思いも寄らない極端にネガティブな着想が湧くことがあるようになったのに気がつきました。
ネガティブな発想のパターンと覚えているエピソードを以降に並べてさせていただきます。 “【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その2” の続きを読む

【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その3

しかし私は、折々には負の遺産が目につくながらも、全体的には福島での暮らしを楽しんでいました。
持ち込んだ書物にもそこそこ目を通しましたが、私は、両手大に並んだ文字の列を延々と目で追うなんてことよりも、もっと胸が湧く時間の使い方を見つけました。それは果実酒づくりでした。 “【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その3” の続きを読む

【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その4

私は確かに、福島での暮らしを楽しんでいました。祖母は、「こんなおばあちゃんのとこにいて何が楽しいんだろうねぇ」と、世間話に来た近所の人や、時には私本人に折りに触れて言いましたが、毎日、農産物直売所に朝から通っていて、店員の人に「何やってる人??」という表情で見られている気がしましたが、お盆に親戚一同が集まった時、いとこに「何で福島に?」と聞かれて返答できませんでしたが、とうとう、無職のままで半年余りが経過した頃に、母親がいかめしい表情で「あんた、このままじゃ幸せじゃないでしょう?」と言って来ましたが、2008年の下半期の記憶は、たしかに私の生涯にとって、砂を噛むような高校生活の後のオアシスとなったのでした。 “【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その4” の続きを読む

【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その6

というよりか私は、ドーパミンの慢性中毒者たちが介在しなくても、大学のクラス内で休み時間の度に、同級生たちが私だけを置いてけぼりにして楽しげにはしゃいでいるのを目の当たりにするだけで、来る日も来る日も昼休みの毎に、学生食堂の大きなテーブルのはじに一人で座ることになるだけでも、クラスメートの悪気のあるなしに関わらず、グループワーク?ディスカッション?ゼミ?の班決めで、私一人どの班からも誘われない、といった事態がたびたびあるだけで、不登校に陥る自信がありました。 “【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その6” の続きを読む

【B毒の汚染】 第四章~伝播~ その2

するとその皮膚には、ひりひりと焼け付いた感じがありました。どんな皮膚でも爪で掻いた直後には、そんな感覚が生じるもので、しかし普通は注意しないで流しているものですが、この時の私には、その焼け付きが病変の始まりかと思えてしまったのです。 “【B毒の汚染】 第四章~伝播~ その2” の続きを読む

【B毒の汚染】 第四章~伝播~ その3

その後の私は、自らの状況を善導しようとして、あらゆる策を講じました。
うずき感を発見してから時間が短いうちは、ふとした拍子にほんの1時間前までの平穏な日常を取り戻せる気がして「自分の指から不快感が移るなどということはないよ、4年間大丈夫だったじゃないか、そんな大事じゃない時間がたてば皮膚の違和感は消えているよ」などと空元気を言い聞かせたり、 “【B毒の汚染】 第四章~伝播~ その3” の続きを読む