【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その2

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主な負の遺産の一つが「神経質」でした。
私は、高校課程の後半を経た頃から、自分で思いも寄らない極端にネガティブな着想が湧くことがあるようになったのに気がつきました。
ネガティブな発想のパターンと覚えているエピソードを以降に並べてさせていただきます。

「科学的にものすごく確率の低い不幸でも、自分には偶然ふりかかると思ってしまう」
・高校在学中のある時、マレーシア旅行に連れて行ってもらったことがありましたが、ホテルで蚊を見かけて、実はいつの間にか蚊に刺されていてマラリアにかかってしまっていないだろうかと、心配が影をさし、帰ってきた後もしばらく悩んで、インターネットでマラリアの初期症状を調べたりしました。
・ふと指に針が刺さった時、破傷風にかかる気がして、かつて予防接種は受けていると聞いていたのですが、抗体が切れているのではと不安になり、インターネットで破傷風のことを調べると、日本で破傷風にかかるのは年に100人くらいと書かれていて、さすがに安心したということがありました。

「目に見えない力によって、不幸が降りかかると思ってしまう」

・古本屋めぐりをしていた時期のことですが、bookoffにて、ネットオークションでは稀覯本と呼ばれプレミアのついている本が、格安で売られていることが時々ありました。こういう物を見て、最初に喜びを覚えた後に、この本は持つ人持つ人に不幸が訪れるいわくつきの本で、だから格安で売られているのではないかという懸念が僅差で追ってくるのでした。もちろん、その本は購入し、家に持って帰れば懸念のことは忘れるのですが。

「他人が理由もなく自分を貶めてくる可能性を不自然に強く想定するようになった」
・前のパターンとも重なりますが、安売りのジュースが、棚に一本残っている時に、駆け足でそれを手に取りに行った後、もしや毒が混入されているのではないか?という考えが頭をかすめて、小さな穴が開いていたり、液量が多かったりしないか観察したことがありました。
・電車内で、立っている人もいるのに端っこの席だけが空いている長椅子があるのを見かけて、私はもちろん座りに行くわけですが、座る前に、その席は汚れているから誰も座ろうとしないのではないか?と疑念が浮かんで座面を手で確かめるということをしたことがありました。

「不潔な物や化学物質など、自分に害を及ぼすと思われるものと、綺麗な物を区別するようになった」
・家のトイレの中に設けられた小さな手洗い場を使わなくなりました。手洗い場で手を洗った後、早く水を止めるためには濡れた手でコックに触らなければいけませんが、それがためらわれるようになりました。濡れた手でトイレ内の水道コックに触ると、空間に浮遊している雑菌が付着しやすそうな気がし始めたのです。
・機器に入っている使用済みの電池を取り出すとき、見た目には液漏れしていなくても、実は電池から出た液の乾いた微細な粉がまとわりついている気がして、それが目に入ると塩酸にかわり失明してしまう気がして、電池を取り出した後、手を洗うようになりました。そして、新品の電池を入れた後にも、また手を洗わなければならないのでした。
・父親の物に触れたくなくなりました。無理に高校に通わせた恨みもあったのでしょうが、便付着がして洗っても色の取れていないパンツを平気で履いているのを見てしまってから、父親の下着全体を遠ざけたり、父親が主に使う2階のトイレを避けたりするようになりました。
・母にはアメリカの親戚というものがありまして、冬になると、家にかんきつ類が届きますけれども、高1の頃には、がっついていたはずでしたが、高3の頃では、輸入されたかんきつ類には発がん性のある防かび剤がかけられているという情報がちらついて、結局は食べたさが勝ってで食べるのですが、皮の表面を洗って、皮をむいた後も洗って個数も控えて、食べるようになりました。
・スーパーで、最初は食べたいと思って、マンゴーに触れたところ、マンゴーはウルシ科であるという知識が頭をかすめて、触れた指がかぶれ始める気がして、その指で他の物に触らないようにして帰り、手を洗ったことがありました。

「自分の体調を変に意識するようになった」
・高校生活の後半を過ぎたころから、目の中の感覚が妙に過敏になって、まつ毛や猫の毛や目やにが付着しているのにすぐ気付くようになりました。飼い猫は私
が小6の頃から家にいるので、以前から目に猫の毛は入る時はあったはずでしたが、この時期には日に何度も、わざわざ洗面所に行って、鏡を見て異物を探り出したり、水で洗い流したりするようになっていました。
・この自分の体調に必要以上に目を向ける癖は、他の心配のパターンと織り重なることも多く、破傷風に罹った気がして、破傷風のことをインターネットで調べた時は、最初にそんな発想が思い浮かんで、自分の体調をあらためると、なんとなく体が震え、筋肉がこわばる気がして、どんどん疑念を強めた来歴で、マラリアは、身体がなんとなくどんどん熱っぽくなる感じがした来歴で、マンゴーの件も、触れた指がどんどん痒くなっていく気がした来歴でした。

同時期の心配のパターンを並べてみると、自分の先行きの予想について、常に不幸を念頭に置いてしまっているように思います。
学校生活で、基本的に来る日も来る日も不幸にさらされたせいで、幸福を期待して叶わなかった場合の精神ダメージを避けるための、常に不幸を想定する思考回路が根付いてしまったのではないかと思えます。

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