【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その5

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もし何も力を持たないまま大学に行った場合の未来の情景は下のように、ありありと目に浮かぶのでした。

大学構内にて、私には一人も友達が出来ず、そのことを見た同級生たちが自らの脳内をドーパミンやβエンドルフィンで満たすために私に侮辱行為を働いて来はじめます。そのせいで、私が登校出来なくなって、退学を余儀なくされたとしても、その加害者達に、空費した高額な授業料や、受験勉強をするために使った時間分の時給や、予備校に支払った月謝や、その場での精神的苦痛に対する慰謝料や、大卒の資格を失った逸失利益や、じだんだを踏むために費やした時間の手間賃を現実問題として補償させられないのです。

何故といって、彼らは罰を受けずに犯罪行為を完遂する時に脳内にドーパミンを分泌させる習性を持ち、そんな状況を作り出すためにあらゆる才知を働かせるエキスパートだからです。ドーパミンの慢性中毒者は、中毒者同士で嵩にかかって孤独な生徒を狙います。彼らは、数に任せることによって、ひとりひとりの罪悪感を薄め、犯行現場を摘発されにくくし、それに、もし私が教授へ告発した場合でも、教授に、被告人や被疑者の数の多さによって、審理を終結させるまでの多大な労力を想定させ、その労を執る気を殺がせ、咎めを受けにくくします。

それに私が告発したくとも、愉快犯たちは、廊下で行きちがう時に、私を視認するなり、顔をしかめて、すれ違い様には、急に間合いを離して迂回し、のみならず「キモっ」などとつぶやいて、離れ際には急に速度を速めたりとか、あるいは逆にわざと肩をぶつけてきたりとか、学級内で適当にグループ分けをする時に、果たして私の周囲に空間ができると、嘲笑した表情で見てきたりとか、固まっている犯行グループの前を私が通ると、みんなして聞こえよがしに、嘲りの笑い声を挙げて手を叩いたりとか、あるいは、その一員が、私が歩いた風のかかった肩を振り払う動作をして、その仲間が「すすいだ方が・・・」と勧めたりとか、ボイスレコーダーなどの記録に残しにくいし、「立瀬くんの存在を否定する意図ではなく、他の事についてたまたまその瞬間にその動作を取る必要があったのです!立瀬くんが被害妄想を持っているから、侮辱されたようにとるのです!!」などといくらでも言い逃れできる、遠まわしな嫌がらせを小刻みに、執拗に、日常的に繰り返す手筈を得意とします。徒党を組むのは手数を増やすためでもあるのです。

挙げ句の果てには、私が大学を去った後に、私からドーパミンを絞ることに執着する日々が続いて、自分たちが私に対する嫌がらせ行為を働き始めた発端の動機が、単なる言い掛かりであったのを忘れて、あたかも何か正当な来歴でそれをやっていると勘違いしきっていた加害者連は「ほらな?やっぱり立瀬は、大学中退するような無能な奴だっただろ?」と、最前から予測していた未来を的中させた人のようなしたり顔をするのです。

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