【B毒の汚染】 第六章~嵐の爪痕~ その3

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しかし、見えない毒との戦いはまだ終わりませんでした。長谷部先生の提示した二つ目の治療プランは、難航しました。すなわち、Bに触れられた部分の不快感自体が消失しても、その部分が「他の皮膚と触れ合った時の不潔感」の方はなかなか克服できなかったのです。

四章で記述したことの確認となりますが、Bに触れられて生じた皮膚の異常と、2009年1月23日の未明に首の後ろの左側に生じた皮膚の疼き感はそれぞれ別の物でした。後者は単に、被服の一部分の感触を精細に意識しすぎ、皮膚感覚を機敏にさせたに過ぎなかったのです。
しかし、当時の私には、そんな科学的知識はとうてい洞察できないことでした。
原理的には皮膚のどの部分も、日常生活の中で機縁によっては過敏状態になってしまう可能性があったわけです。現に、最初の「伝播」が起こった夜から約1週間後に、右のふくらはぎの内側にかゆみを感じた時、その頃は、「B毒を伝染させてしまった」という考えの発端となった左手の指先にも、不潔感が感じられる時期でしたが、「自分は利き手で身体を掻く権利をBに奪われてなどいない!!」と主張したくて、それと、曝露反応妨害法を試す気持ちも混ざって、そこをあえて掻き毟ったところ、その部分は二箇所目の疼き感が定着した部分となってしまいました。
そうして、疼き感が定着してしまった状態の皮膚を、元の屈託なく服と馴れ合う皮膚に戻す方法は、曝露反応妨害法から応用しようとしても思いつかなかったのです。
首の後ろの、左側の皮膚や、右のふくらはぎの内側にしばらく物を押し当て続けた後、改善しただろうか?と期待しながら、ネックリブや、長ズボンの布地を載せると、やはりその皮膚はそれを弾み返すのでした。
うずき感を覚えるようになった首の後ろの左側の皮膚を物と触れさせても、Bに直接触れられた部分の如くに「生理的に、下腹部から上の筋肉が急に緊張してはらわたを締め付けられるほどのストレス感」といった、分明な不快感が生じるわけではありませんでしたが、「Bの不法行為が原因で服の布と屈託なく馴れ合う皮膚を失ってしまった一連の流れを回想した上で不穏になる」という意味で、疼き感は邪魔な物であったのです。同じ時期の私には、インターネットで面白いネタを見たり、ゲームでうまいプレイができたりして、楽しいと感じた後刻に、皮膚感覚のことから一瞬意識が逸れていた自分に気づき、「あれ?もしかしたら少し疼き感が収まったのかな?」と期待が起こって、気にしている皮膚に意識を向けると、期待はずれを味わわされる、それから間髪をいれず、楽しみを邪魔されたようで少しわだかまりを覚える、という経験が何度も繰り返されました。

またその頃の私でも、Bに触れられたことによって生じた皮膚感覚の異変と、自分の指から新たに作り出してしまった異変の、それぞれの性質が違うことに、おおよそ見当がついていましたが、それでもやはり、B毒という疾患は、私にとって未知な要素が多い病であり、「疼き感の生じた皮膚が、いつしか不快感の生じた皮膚に変わってしまうのではないだろうか?」という疑いはなかなか拭えなかったのです。

当時、私の中では前者を「本家毒」、後者を「伝播毒」と称していましたが、以降の本文中でも、そのように呼び分けることとします。
橋谷メンタルクリニックへの通院は、一週間おきに続けていました。私はもちろん、本家毒の治療法を教えて貰ったお礼を言うのに続けて、うずき感が治らないことを相談しましたが、長谷部先生の提案は「熱い、冷たい、甘い、いい香りなどの感覚を積極的に次々感じるようにしてはどうでしょう?」とか「自律訓練法(自分の身体に「左腕が重い」「右腕が温かい」などと、順番に感覚的な暗示をかけていく、自己催眠の訓練法)が効きそうではないですか?」というものでした。
しかし、そのどちらの方法に取り組んでも、うずき感は改善せず、残念ながらこの件に関しては、長谷部先生は正解を言い当てられませんでした。
Bに関するイメージが触れることに起因して、体中のどこにも自分で治せない支障が生じてしまう可能性がある、という現況が変わらない以上は、やはり私にとって、アゴや右の二の腕の横側は、依然として汚染区域の扱いで、それらの部分を気軽に触ったり、その触った指で、その時点では健康だと思っている皮膚を掻いたりできない習慣は続くことになったのです。
長谷部先生の初診時に、潔癖症者と同一視される発言を受けて異論を感じた私でしたが、図らずもステレオタイプな潔癖症者らしく、必要以上に石鹸で手洗いをする習慣が、ほどなく私の日常に根付くことになりました。
睡眠薬の効果でとりあえず眠れるようになってからの最初の一、二週間の、私の大きな課題は、左手の指先自体に染みたB毒のイメージをどうにかして浄化されたと思い込むことでした。
2009年1月23日の夜の内に、急変の発端となった左手の爪にはかなり深い汚れのイメージが染み付いていました。
しかし、利き手の左手を、自分の身体に自由に触れさせられないのは余りにも不便であり、この二週間の私は、頻繁に左手の指先を石鹸で洗いに洗面台へ向かい、「左手は綺麗になった」と言い聞かせることを繰り返して、なんとか利き手を日常生活に使えるようにしたのでした。
また、男である私はヒゲを剃るために、どうしても定期的にアゴに触れなければならなかったし、それに、歯磨きの時にアゴからしたたる水が手に当たることも避けにくいことであり、身だしなみの後に手が不潔感で浮いた感じを取るために、石鹸を用いるようにもなりました。
Bのイメージによる汚れがどうして石鹸の泡で落ちるのか、まるで論理性は無いことなのですが、ただただ、汚れた水と皮膚が触れるたびに一瞬の内に、万が一にも体中に不快感が生じてしまう未来が思い浮かんで、胃の裏の少し下の肉質が焦燥によって突沸する感じがして、「その生理を短絡的にでも静めなければ!!」という考えで、心はいっぱいになってしまったのです。その場しのぎ的にせよ迷信的にせよ安心感を得られる条件づけが欲しかったのです。
石鹸で手を洗う儀式によって、左手の指先自体の不潔感は消すことが出来たし、どうしても患部に触れなければならない日課の際の不潔感も、洗い流した気になれるようになりましたが、それでも日常生活で「まだ屈託のない皮膚」と「Bに関するイメージ」との接触は避けられませんでした。
気をつけていても、袖に包まれた腕とアゴがかすめてしまった時や、水を飲んでいて口から漏れた水がアゴをつたって衣服のお腹部分に落ちた時、不潔な物体と直接当たったのは衣服であったのに、私は、その直下の皮膚に伝播毒が生じてしまうのではないかと不安になり、急いで服を新しく取り替えたとしても、すでに意識はその部分に集中し始まっているのです。
恐らく、右の二の腕の横側が、Bに制服越しに触れられたのにもかかわらず、不快感が現出したことからの連想でした。
アゴに直接触れたときや、アゴから滴った水が素手に触れたときには、Bのイメージと同時に、皮脂とか角質のかけらとか、物理的に何か排除すべき対象がついているという意識も同時に生まれるので、石鹸の泡でこする儀式を施すことに意義があるような雰囲気が作れて、自分に、皮脂とともにBのイメージも浄化されたと言い含めやすかったのですが、上のようなBのイメージだけで皮膚が汚れたと考えたときには、私には打つ手がありませんでした。

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