私は、ある皮膚が伝播毒にかかるかも知れないと疑い始めることを「皮膚にケチがつく」と呼称していました。
未来から振り返ると、2009年1月24日から一年の間に、結局疼き感が定着してしまった部分は、首の後ろの左側の皮膚を除いて、新たに、
・右のふくらはぎの内側
・左のすねの前側
・左のふくらはぎの内側
・右のすねの前側
・右のひじの一番尖っているところ
の五箇所でした。原理上、やはり服の布がひらひら当たるような箇所に限定されるわけでした。
ある皮膚に意識を向けてしまった後に、その皮膚に最終的に疼き感が定着するまでの流れは、最初の伝播が起こった未明と同じでした。
ある皮膚にケチがついた瞬間にまず、その皮膚には「真皮と表皮の間に微細なドライアイスの粒が敷き詰められた感じ」が生じ始めました。この比喩の意味するところは、その瞬間から恐怖心によって、皮膚に冷たい感じがすると同時に、早くも衣服の当たる感覚は強くなりかかっていて、皮膚のある面積に全体に刺激が強くなるという感覚はどちらかといえば、火傷、つまりは火を連想させる感覚でありますので、総体に言ってその感覚は、ドライアイスで火傷をした体験を呼び起こしたのです。
その後はたいがい、皮膚に載った服の皺の形を治したり、服をまくったり、服の布をつまんでテント状に浮かせたり、その皮膚の感覚を心の声で真剣に吟味したり、風呂場で熱いシャワーと冷たいシャワーを交互に当てたり、日光に当てたり、四肢に順番に「重い」「温かい」と暗示をかけることに集中しようとしたり、当該の皮膚の健康を保つためのあらゆる努力をしてしまいました。
しかし、皮膚の感覚が正常なことを確かめようとすればするほど、ますます凍傷感は強まって行ってしまうのです。
そうして凍傷感は、始めの内には皮膚の上の服を取りのける工夫によって、やわらぐ段階の時もあったのに、
ついには、何も触れさせていなくても、皮膚が浮き上がる感じがするまでに、増悪してしまうのです。
しかし、自分で、「特定の皮膚に意識を集中させることと服のはりつき感が連動しているな」、という心当たりがある状態ならば、まだ初期の段階であるのでした。
皮膚にケチがついてしまってから日が浅い内には、例えば寝起きすぐなど、意識が皮膚のことから逸れていた時に、伝播毒の候補地となっていた皮膚に再びはりつき感が生じ出すまでに「自分は、最近どこかの部分が伝播毒に冒されるかもしれないと悩んでいるんだったな、えーと、どこを気にしてたんだっけ?」という思考回路を経るための、コンマ何秒かのタイムラグが置かれているものなのでした。ところが、同じ皮膚を議題にする期間が数日も続くと、その皮膚を自分で意識している心当たりも無いのに、その皮膚自体が器質的に変質したか如くに、絶えず張り付き感を生じさせるようになってしまうのでした。その段階に至った皮膚こそが、私が伝播毒の定着、と表現する皮膚の状態でした。
ところで、「第二章 ~浸蝕~ その1」で述べたように、本家毒の感覚は表皮の一番表面から真皮までが、不快物質で湿潤したような感じがしましたが、伝播毒による違和感は、「真皮と表皮の間だけに不快物質ではないが何か異物が留まっている」という感じがしました。
伝播毒の定着した素肌をそっと撫でさすってみると、つまり、本家毒の生じた皮膚の上においては一番生理的な不快感が生じる動作をしてみると、表皮の表面の感覚は、案外にまったく通常の感覚であるのでした。
伝播毒の正体は、「服の布の重さを意識しすぎた」というだけのことであるわけですが、生理学的に人体の皮膚が重みの感覚を受ける器官は、表皮から少し深い層にあるということかもしれません。
疼き感が絶えず生じるようになってしまってからしばらくは、「もしかしたら完全に定着したのではないかも」という希望が残るために、その皮膚には冷感が含まれているものでしたが、改善しない期間が長く続く内に、私がとうとう伝播毒の定着を認めざるを得なくなると、のるかそるかの葛藤はなくなり、冷感も消えていくのです。
皮膚にケチがついてから若干時間が経った後の、「何も触れさせなくても皮膚が浮き上がる」という感況を起こさせる要素は、「冷感」に最もその比率があるらしく、冷感が去った後の患部は、服を脱いでいて何も乗っかっていない状態の時には、正常に戻った皮膚であるかのように思えるものでした。
しかし、また服を着ると、その部分はたちまちはりつき感を呈するのでありました。
繰り返しになりますが、当時の私にとって一度定着してしまった伝播毒は、まさに皮膚自体の疾患でした。
ある皮膚にケチがついて、思いつめている時に、その皮膚がまだ伝播毒の定着していない段階にあるならば、偶然また他の新しい箇所にケチがつけば、新しい部分の方に意識が移り、一つ前の箇所への用心をあやふやにすることが出来るのでした。
すなわち、複数箇所の伝播毒の発展途上地を同時に悩むことはなかったのです。
しかし、定着状態になった伝播毒は大変固着的で、首の後ろの左側と右のふくらはぎ内側の皮膚の、張り付いている範囲を同時にまとめて、感じることもできるし、また、それらを確認しながら、新しくケチのついた皮膚の感覚を吟味することができるのでした。
二箇所目の伝播毒の定着が起こってしまった日以来、私の一日のところどころに、「元の身体に戻りたい!」という願望とともに、身体全体で、疼き感が固着した部分を確認する時間が、つまりは「Bに正常な感覚を奪われた部分の勢力図を俯瞰して惨めな気持ちになる時間」がさしはさまれることとなりました。
そして、もっと嫌なことには、「ある皮膚が伝播毒に罹るかも」と私が心配し始める要因は、アゴや右の二の腕の横側と偶然触れてしまうとか、アゴから滴った水が当たってしまうといった、かつてBに直接触れられた部分とわかりやすく接点を持つことに限りませんでした。
周囲のあらゆる景色が、Bに関係するイメージのあるものとそうでないものとで、色濃く塗りわけられ、私は、不浄なイメージのあるものに触れた瞬間に、その時に圧迫されていた皮膚に意識を集中してしまうのです。
例えば、腰に手を当てたり、胡坐をかいたももに手を載せている瞬間に、点けていたTVにBと同じ苗字の人が登場したり、「しゃくれ」、「損害賠償」とかいう語が出たりすると、その程度のことでも、手の当たっていた腰や、圧迫させていた腿やふくらはぎの一部分に意識が集中してし始まってしまったのです。すなわち、「第二章 ~浸蝕~ その4」で並べ立てた、私の周囲に張り巡らされていた忌まわしい記念品が、今度は、私の皮膚の健康を脅かす毒液となって照り映えることとなったのでした。