【B毒の汚染】 第六章~嵐の爪痕~ その2

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およそ二年前に立ち消えになった計画の通りに、橋谷メンタルクリニックを訪れると長谷部先生は在勤でした。

これまでの来歴について、頭の中でさんざん文章を練り上げて来たつもりでも、いざ口頭で発表する段になると、順序良く言葉をつなげるのは難しく、また
「・・・アゴと右の二の腕の横側に触られると、不快感が生じるようになってしまっていたのです」
「そんなにアゴに触られることってあるの?」
「・・・物が当たるだけでもだめなんです」
と言葉が足りなくて生まれた突っ込み所を弁明する時間があったり、
「僕は、その疾患をBに毒液をかけられたみたいだなと思って、B毒と呼ぶようになったのです」と口にした瞬間に、「『毒』などと寓話的な言い方をしたことによって、長谷部先生は『この患者はありもしない妄想に取り付かれる病なのかも知れないな』と取ってしまい、自分の他の全ての述懐を信じてもらえなくなるかも知れない!」という不安が急に起こって、「それはあくまで日常の思考形式での例えとしての表現なんですけど・・・」と付け加えたくなったり、私は、診察受付時刻が始まるのと同時に来院したため、一番最初の順番で診察室に呼ばれましたが、会話の時間が30分に差し掛かったところで、他の来院患者の都合もあるということで、私の口述の続きは、順番を午前の診察時間の一番後ろに回してもらい、そこでじっくりとさせてもらえることになりました。
希翼クリニックでは、精神科医は診察室から半歩だけ出てきて順番の来た患者をフルネームで呼びました。
私は、フルネームで呼ばれることによって、精神科を受診している自分をより強く意識してしまうし、広くも無い、満席の長いすを詰め合わせた待合室の、他の来院患者の記憶に、私の名前が残りやすくなってしまうのが不愉快と感じていました。
また、先の病院では精神科医だけでなくカウンセラーも白衣を着ていて、そのことよって私は、相談相手から権威的な圧力を感じてしまい、自分が専門家による精神への処置を受けていることを必要以上に意識してしまっていました。
そして、診察室で促される椅子の位置どりは、精神科医と机ごしに正面に対抗する位置取りで、椅子自体も、背もたれが固くて垂直な、リクライニングの利かない椅子であり、私は精神科医と目を合わせて会話しなければならず、前項の威圧感はより増幅されていました。
橋谷メンタルクリニックの待合室は、希翼クリニックより広い面積で、間取りの中側には座席はなく、壁際の長椅子同士には、間隙も設けられてあって開放的な雰囲気で、長谷部先生は白衣を着ずにセーター姿で、患者を呼ぶ時には、本人の方に歩み寄ってくれて、もし見当たらなくても一度目には苗字だけで呼んでくれるのでした。
診察室には、背もたれが広くてゆったりした、リクライニングの利く回転椅子が1メートルほど離して、二脚配置せられているのでした。
私は、一通りいきさつを話し終えると、
「先生、催眠療法をかけてもらえれば治るんじゃないでしょうか?」
と尋ねました。
B毒が、内科的でも外科的でもない病であるらしいのを知りつつ、向精神薬を飲まされた期間を経ても、運動の期間を経ても、単に4年の月日が経過しても治癒しないでいる事実を踏まえて、私がメディアより断片的に得た、精神療法に関する知識の中から思いつける発想は、催眠療法だけとなっていたのでした。
しかし、長谷部先生は、
「うーん、催眠療法は違うんじゃないかなと思います」
と否定しました。
「自分でも病の原因がわからない人から記憶を引き出すのに、催眠療法が役に立つことがあるかも知れませんが、立瀬さんのように、自分で原因がわかりきっている人には、むしろ逆効果になってしまうと思います」
そうして長谷部先生は私に診断名を告げたのでした。
「典型的な強迫性障害ですね」
長谷部先生が「典型的」という言葉を使った意図は、訴えた悩みの治療法が、長谷部先生の手の内にあることを示唆して、私に安心感を与えるためだったのかも知れません。その心情ももちろん感じながら、同時に、私は自分の症状について「誰からも聞いた事がない世にも珍しい病」という意識を持っていたので、長谷部先生のあっさりとした反応が、特別、熱意の籠もっていない証しのようにも見えて、一面ではやや苛立ちも抱いていました。
「提案したい療法としては、曝露反応妨害法。曝露っていうのは、芸能人を暴露するとかいうことじゃなくて・・・・」
長谷部先生は、机の上にあった、動物の置物を指して、
「例えば、潔癖症の患者さんが、これのことをすごく不潔に思っているとしたら、」
と置物を握り締め、
「あえてそれを触ってもらって始めはストレスを感じるでしょうが、そのままキープする。するとだんだんストレスは減っていくものなんです。立瀬さんの場合は、イライラするアゴをあえて触り続ける。それに、アゴを触った手であちこち触れ回る。一ヶ月くらいで慣れて行くと思いますよ」
強迫性障害という用語が、潔癖症の医学的な言い方であるのに気づいた刹那には、また反抗心が湧きました。
私は、潔癖症者という人について、「トイレの水を流すコックに触れた後、とっくに病原菌は洗い流されているのに繰り返し石鹸で手を洗ったりなど、実害が起こる可能性が低い汚れを必要以上に恐れる不経済な人」というイメージを持っていました。
私にとって自分のアゴや右の二の腕は、触れることがそのまま不快感の生じた皮膚の部分を増やすことに直結する、まさに毒物なのであり、実害がない事を恐れているのではない自分は潔癖症とは違う、という考えが起こったのです。
しかし、続けて長谷部先生が提案した逆転の発想に、私は盲点をつかれた気がして、文句を言い出しかけた喉はふさがれました。

その後には私は、今すぐにも眠りたいとも相談し、睡眠薬を処方して貰って、この日の診察は終了となりました。
なおこの時私は、睡眠剤の量はなるべく少なくして欲しいと所望しました。Bの不法行為に起因して、服薬の習慣が再開されるに際して、やはり肝臓への負担や薬害についての懸念が湧いたのでした。
自宅に帰り、睡眠薬を飲んで床に就くと、私は、ようやく8時間ぐっすり眠ることができました。

結局、不快感の生じた皮膚に物を押し当て続ければ、その不快感は徐々に薄れていくというのは真実でした。
日に数時間、高台ベッドのはしごの最上段にアゴをのせて重心をかけたり、回転椅子に座って背もたれに、右の二の腕の横側を押し当て続けたり、あるいは、アゴと右の二の腕同士をくっつけて一挙両得を得たりをしたところ、その不快感の度合いは取り組みの毎に徐々に薄れていきました。考えてみれば私は、アゴと右の二の腕の不快感に気づいてから、物が触れて少しでも不快感が染み出すと、すぐにそれを離してしまっていました。B毒が不快感を呼び起こす閾値が大変低いことは知っていても、最大値がどれくらいなのかは知らなかったのです。そうして、約一ヵ月後には、四年間不快感に苦しみ続けて来た患部は、ようやく通常の皮膚感覚を取り戻すことができたのです。

強迫性障害:強迫観念と強迫行為に悩む疾患。
強迫観念:他人から見れば不合理なマイルールのこと。
強迫行為:マイルールを守るために必要以上に時間を使うこと。
曝露反応妨害法:強迫行為をやめ、あえて強迫観念に逆らい、その不安感から逃げずに踏みとどまり続けることによって、強迫行為を行わなくても、不安感が自然に納まっていくのを体感する療法。治療前の強迫性障害の患者はほとんどの場合、強迫観念にさからった場合の不安感は、漸増直線を描いて無尽蔵に増大するものと想像し、その精神的打撃によって最終的には死んでしまうと自己診断をしている。しかし、実は強迫行為を我慢することによって生じる不安感は40分でピークを迎えて、2時間半経てばほとんど薄れてしまう。これを4日続ければ、不安感が生じること自体がなくなって来る。その後は、だんだんサボりがちになりながらも一ヶ月習慣を続ければ、自分がその強迫観念を持っていたのが信じられなくなる、と言われる。

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