〈第二章~浸蝕~〉
「三年生を送る会」から50日が過ぎた頃、私は愕然とする事実に気がつきました。「三年生を送る会」の場でBに複数回触れられた私の皮膚の部分、すなわちアゴと右の二の腕という二箇所に異物感ストレス感が生じていたのです。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その1” の続きを読む
「学校での孤独」と「いじめ」という現象についての正確な図鑑を作りましょう!
〈第二章~浸蝕~〉
「三年生を送る会」から50日が過ぎた頃、私は愕然とする事実に気がつきました。「三年生を送る会」の場でBに複数回触れられた私の皮膚の部分、すなわちアゴと右の二の腕という二箇所に異物感ストレス感が生じていたのです。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その1” の続きを読む
その場でも泣かされ、その場から日が経たない内に何度も地団太を踏まされていた矢先にこんな後遺症まで植えつけられた事が発覚し、私はもはや暗澹たる気持ちになりました。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その2” の続きを読む
皮膚の不快感に気づいてから、患部に極力物が触れないように努めることが私の習慣になりました。高校に行っている時など社会生活を過ごしている間は、患部の不快感覚はある程度なりをひそめましたが、自室に一人でいるオフタイムには頻繁にその症状につけいられました。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その3” の続きを読む
そうして、皮膚の異常感覚だけにとどまらず、私は忌まわしい記憶を呼び起こす記念品に日常を取り囲まれていました。
言語について言うなら「猫」「オォイ(多い)」「しゃくれ」「損害賠償」「倍返し」「・・・しちゃったし」「あきらめる」「そうだよ」「反抗らしい反抗もできなかった」「私はなにも言えなかった」といった、その場の光景を表現するような語に触れると私は焦燥や憤りを覚えました。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その4” の続きを読む
私は先に、高校に行っている間は皮膚の不快感はなりをひそめたと書きましたが、それはそのほかの「三年生を送る会を思い出す合図シリーズ」についても同様でした。しかし、このことは単に他者がいる緊張感によって手回り品よりも外に注意が向いたというまでで、私が高校生活で友愛に包まれ、過去を薄めることが出来たという意味では決してありません。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その5” の続きを読む
Bからの仕打ちに続いて、高校で理不尽な扱いを受けて、私は日を追って人間関係に自信を失って行きました。私は高校二年生の秋ごろに大学進学を選択肢から外しました。何とかして高校卒業にこぎ着けるまでが、羽が穴だらけになった私の最大限度の目標と考えました。現に、高校の在籍期間を終えた時には私は満身創痍でした。大学受験の流れを全く知らずに、どんな組織にも在籍しないまま18歳の4月を迎えた時、人によっては落胆し、世間的には気の毒がられる立場かも知れませんが、私はただ開放感に浸りました。私は浪人生の気分でもなく、来年受験の予定も立てていませんでした。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その6” の続きを読む
〈第三章~涵養~〉
大荷物とともにいきなりやってきて「いつ帰るの?」と聞かれてものらりくらりかわす私に、祖母は初めは驚いていましたが、一か月ほど後に私を追って里帰りした母親とも談合があり、母親は私が人間関係に躓いたことをややほのめかしたのか、祖母にも昨年の秋に祖父の亡くなった寂しさがあったのか、とりあえず私はしばらく福島の祖母宅に置いてもらえることになりました。
私はようやく社会生活から解放されましたが、私の周囲にはなおも学生時代の負の遺産が影を落としました。 “【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その1” の続きを読む
主な負の遺産の一つが「神経質」でした。
私は、高校課程の後半を経た頃から、自分で思いも寄らない極端にネガティブな着想が湧くことがあるようになったのに気がつきました。
ネガティブな発想のパターンと覚えているエピソードを以降に並べてさせていただきます。 “【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その2” の続きを読む
しかし私は、折々には負の遺産が目につくながらも、全体的には福島での暮らしを楽しんでいました。
持ち込んだ書物にもそこそこ目を通しましたが、私は、両手大に並んだ文字の列を延々と目で追うなんてことよりも、もっと胸が湧く時間の使い方を見つけました。それは果実酒づくりでした。 “【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その3” の続きを読む
私は確かに、福島での暮らしを楽しんでいました。祖母は、「こんなおばあちゃんのとこにいて何が楽しいんだろうねぇ」と、世間話に来た近所の人や、時には私本人に折りに触れて言いましたが、毎日、農産物直売所に朝から通っていて、店員の人に「何やってる人??」という表情で見られている気がしましたが、お盆に親戚一同が集まった時、いとこに「何で福島に?」と聞かれて返答できませんでしたが、とうとう、無職のままで半年余りが経過した頃に、母親がいかめしい表情で「あんた、このままじゃ幸せじゃないでしょう?」と言って来ましたが、2008年の下半期の記憶は、たしかに私の生涯にとって、砂を噛むような高校生活の後のオアシスとなったのでした。 “【B毒の汚染】 第三章~涵養~ その4” の続きを読む