それから私は、自分が該当するマイノリティの自助グループに参加しようと決心しました。2009年の4月に肉付きの面を取り外せたあたりにも、「強迫性障害の患者会や不登校・引きこもり当事者のフリースペースやいじめ被害者の集会に足を運ぼうかな」と腹案に入れたことがありました。しかし、高校時代の青春を手に入れられなかったことや、高校を卒業した後にも、社会のメインストリームに乗れていないことを赤の他人にさらけ出すのはまだ恥ずかしく、さらに、社会的にネガティブなイメージの当事者団体に在籍するのも恥ずかしいことだと感じて、案をすぐに打ち消してしまっていました。
ところが、森田療法を知り、心の動き方のパターンを勉強する内に、自分のとってきた行動がすべて正常な心理の成分の総括であったことに気がついたのです。他の同年代の誰でも、生まれてから私と同じ境遇を辿れば、同じ心理を起こし、同じ行動をとるものだ、と思えるようになったのです。「学校時代の不幸があまりに重ければ、誰でも引きこもるものだ」と開き直れるようになり、強がりを一段と薄めることができたのです。「自分が持つ心理は、他人にもあり、他人の持つ心理は、自分にもある」ということを知ることは、森田療法の重要な学びとして文献中で幾度も触れられていることでした。森田先生は、昭和初期の当時にも「形外会」という神経質症経験者同士が自分の症状を告白しあう懇話会を作られたのだそうです。
『【差別観のとらわれから脱する】
神経質症状に悩む人の多くは、自分ほど苦しいものはない、こんな症状を持っている者はほかにあるまいと思い込んでいる。だから、他人の症状を聞いてもいっこうに同情しない。赤面恐怖症の人は不潔恐怖の人をおかしがり、不潔恐怖の人は不眠症ぐらいなんでもないのにと思う。(中略)入院中の患者たちははじめのうち自己中心的になっていて、自分だけが特別だと思う気持ちが強いので、いっそう自分を惨めに感じ、他人に対して同情することも少ないのである。(中略)私がウサギの箱を掃除しているのを見たある患者が、日誌に「先生は汚いことを平気でやられる」と書いていたが、私は平気ではなくイヤイヤながらやったのである、冬の寒い日、病院の前の妙正寺川で染物屋さんが、布をさらしているのを見た一人の患者が、「あの人たちは寒いのに平気で水仕事をしている。自分にはとてもできない」と日誌に書いてあった。このように自分に辛い事は人にもつらいということがわからないので、同情心も湧かないのである、正常人は「あの人たちは職業とはいいながら、つらい水仕事をしている。感心なものだ」と思う。
人は平気で大勢の人の前で話をするが、自分はあがってしまう、人は楽に勉強しているが、自分は苦しい。人はいつもいい気分でいるが自分はふさぎやすいなど、自分だけが特別だという考え方をすることを、「差別観にとらわれる」というのである。こうなるといっそう劣等感が強くなる、だから他の患者がなおるのを見ても、あれは軽いからなおるので、自分のは違うと思い、他人のことを参考にしようとしない。症状が変わっていても根本は同じだということにも気がつきにくいのである。』1
初めて参加した引きこもりの人向けフリースペースは、ある地方都市の公民館の一室に開かれていました。私はその2、3日前に、都心部の防犯ショップまで出かけて、ちょっと大きい変なペン型の催涙スプレー二本を購入しました。他人と数時間同じ空間に過ごすイベントにおいて、参加者の誰かが何かの拍子に、私の身体の一部分を面白がってしつこく触りたい気分になる可能性についての想定が、その時点では0%ではなかったのです。しかし、会場に着いてほどなく、私は、袖に仕込んだ暗器のことは忘れてしまいました。
会場は中央に大きな卓がある大きな和室で、私はイベントが始まる定刻に入室して、最初の集まりは数人でしたが、定刻を過ぎてからも、周囲の空気が実体化するように、しれっと人が増えてゆき、後には、中学生から中年の方まで、20人近くの集まりとなり、まるで公民館の休憩室に過ごしているようでした。他の来場者の方との話題は尽きることがありませんでした、学校時代の同級生を見返すとか、手っ取り早く就職したことにするために、小説や漫画やRPGなどの創作活動に取り組んだことや、両親との仲がギクシャクしていることや、深夜に外を歩き回る習慣のことや、2ちゃんまとめサイトで権力者が失敗するのを見るのが楽しいことや、ポケットマネーが減るのが惜しくて、新しいゲームを買えずに、お気に入りのレトロゲームをやりこんでいることなど、参加者の誰とでも、大なり小なり共通の経験があることが多く、それにみんな、人が話している時には話し終えるまで待ってくれていて、テンポよくノリ良くテンションを上げて笑いながらしゃべることを、お互いに誰も求めていませんでした。また、引きこもり期間中に強迫性障害にかかった経験のことを、私以外に複数の人が打ち明けてくれました。私は、
「曝露反応妨害法って響きがかっこいいですよね。なんか、錬金術の技法みたい」
と言いました。
同じ悩みを持つ他者と体験を打ち明けあうことは、単に嬉しいとか、勉強になったとか、安心できるといった言葉の表現によらない、なにか大きな力で、善導を与えてくれるもののようでした。
どこかの自助グループに参加して新たな知り合いを作ると、その後しばらくの期間、なぜか物理的な意味で強迫観念にはとらわれにくくなったのです。経験則によると、参加してから約二週間の間、脳裏には、「こないだの会合で、自分の言ったあのギャグは、もっとこうすれば面白かったんじゃないかな」とか、「このTV番組やインターネットの情報は、あの人が興味を持ちそうな内容だな」といった、対外関係に向かった思索が漂っていて、視界の中のBに関するものとそうでないものを色分けする心を置き去りにしやすくできるし、皮膚に新たにケチがついても、そのことから意識を離す時間を短くできるようでした。
自助グループで作った仲間があったればこそ、私は嫌なオブジェクトを色分けする強迫観念や、皮膚にケチがつくことへの恐れや、すでに定着してしまった伝播毒を克服できたと思います。