【奥村進、山浦秀男の倨傲4】

2005年11月25日の1年4組の保健の時限は、パソコンルームにて、日本で流行する可能性のある様々な感染症についてインターネットで調べるという企画に当てられた。パソコンルームにずらりと並ぶパソコンのどれを誰が使うかという指示は、城伸助からは特になされなかったが、そこに集まった生徒たちの大方は、何げなく情報の時限で定められている通りの席順で椅子に腰掛けた。 “【奥村進、山浦秀男の倨傲4】” の続きを読む

【奥村進、山浦秀男の倨傲5】

2006年1月31日、教室の中央に現れた十数人の男子生徒の輪の内で交わされる会話を背後に、立瀬将樹は耳をそば立てていた。輪の中心には、四日後に控えているクラス対抗ラグビー大会における1年4組のスターティングメンバーの一覧を記載するプリントがあった。 “【奥村進、山浦秀男の倨傲5】” の続きを読む

【B毒の汚染】 第一章~露出~ その1

【B毒の汚染】

〈第一章~露出~〉

2005年3月15日、その日は中学校の卒業式の前日にあたり、私は「三年生を送る会」に送られる立場として出席しました。三年一組の男子に割り当てられた区画に、パイプ椅子が横に並べられてあり、私はその列の右端から1つ左側の椅子に座っていて、右隣にはBという同級生がおりました。 “【B毒の汚染】 第一章~露出~ その1” の続きを読む

【B毒の汚染】 第一章~露出~ その2

ブラスバンド部の演奏があり、ビデオのスライド上映、部活ごとの後輩の出し物がありました、Bは声を出せる場面ならば「たっちゃん、ねぇ 猫のはなし!」「ウォイ」「オォイ」の掛け声の大きさを調節して、私のアゴを押し上げることを繰り返してきました。私の悔し涙は、はた目からは学校との別れを惜しんでいる感動の涙と見間違えられていたと思います。 “【B毒の汚染】 第一章~露出~ その2” の続きを読む

【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その1

〈第二章~浸蝕~〉

「三年生を送る会」から50日が過ぎた頃、私は愕然とする事実に気がつきました。「三年生を送る会」の場でBに複数回触れられた私の皮膚の部分、すなわちアゴと右の二の腕という二箇所に異物感ストレス感が生じていたのです。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その1” の続きを読む

【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その3

皮膚の不快感に気づいてから、患部に極力物が触れないように努めることが私の習慣になりました。高校に行っている時など社会生活を過ごしている間は、患部の不快感覚はある程度なりをひそめましたが、自室に一人でいるオフタイムには頻繁にその症状につけいられました。 “【B毒の汚染】 第二章~浸蝕~ その3” の続きを読む