【奥村進、山浦秀男の倨傲4】

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2005年11月25日の1年4組の保健の時限は、パソコンルームにて、日本で流行する可能性のある様々な感染症についてインターネットで調べるという企画に当てられた。パソコンルームにずらりと並ぶパソコンのどれを誰が使うかという指示は、城伸助からは特になされなかったが、そこに集まった生徒たちの大方は、何げなく情報の時限で定められている通りの席順で椅子に腰掛けた。授業時間の半ば頃に、奥村進の「・・・つ・まさ・・」という呟きが、自分の出席番号と同じ27番のパソコンを操っている立瀬将樹の耳朶に触れた。立瀬将樹は奥村進の扱っているパソコン上で、教師の目を離した隙に検索エンジンに立瀬将樹の名前を打ち込むという催しが展開されつつあるのを察し、気分を害したが、例によって何らの非難を成し得ずに無言でいた。奥村進のタイピング能力の拙さを、情報の課題に取り組む手元を見かけて知っていた立瀬将樹は、人差し指だけでt、a、t、u、s、e、スペース、エンター、クリック、bs、クリック、m、a、s、a、k、i、スペース、スペース、スペース、スペース、スペース、エンター、bs、k、i、スペース、スペース、スペース、スペース、スペース、スペース、エンターと一字一字入力する苦労を想像した。38番のパソコンのそばを通りがかり、奥村進のもくろみに気付いた男子生徒は一様に、「たつせまさき」と漏らして画面を眺めたなり動向を窺った。立瀬将樹の隣席に座していた千葉隆が、それと知るや否や喜色満面となって、人だかりの方へ走り寄り、「立瀬将樹の氏名をインターネットで検索する一味」の仲間入りをしたのを立瀬将樹は目で追った。それまで印刷物をプリンターへ回収しに行っていて、自分の出席番号の席に戻ってきた山浦秀男が、群がりの中心にあるディスプレイを覗き込み、やはり「たつせまさき」と口にして、早速、目の輝度を上昇させ始めた。はなから、山浦秀男を抱き込むつもりで38番の座席に居を占め、「立瀬将樹という語をキーワード検索する会」を発足させた奥村進の計略は、立瀬将樹の推しはかるところとなった。
「立瀬将樹の検索結果120件ヒットしました」
奥村進が読み上げると、
「なんかね、居そうだよね、この中に、本物がね」
と山浦秀男はほくそ笑みをこぼしつ言葉を継ぎつした。
このやりとりの後しばらくの間、単調なクリック音だけが続き、それとともに楽しい気分を味わう期待から来る高揚した息づかいが籠もってあたたまっていた一座の空気がいっさんに冷めゆくのを立瀬将樹は感じ取った。立瀬将樹は、彼らが立瀬将樹情報の発見を成し得ないままに検索結果に現れたページを一巡してしまったのを直感した。奥村進の無念を推し量って、少しく苛立ちが薄まったのも束の間、一団の間に含み笑いがぶり返してきたとたんの奥村進の「立瀬将樹の履歴書イメージ・・・・・・」という声に、立瀬将樹は耳をそばだてた。ある人物の氏名を打ち込むと何ら根拠はないがその人が書くであろう履歴書の画像を見せてくれるという触れ込みのサイトの検索エンジンに自分の名前が載せられたの立瀬将樹は察した。奥村進はサイトの教える立瀬将樹の人物像を次々に音読してゆき、その間中こらえ切れなくなった団員の、声をひそめた笑いがいくつも折り重なった。奥村進が一文を読み終えて
「そうか、編み物が趣味だったのか!」
「また新しい一面を発見したぞ!!」
などとはしゃぐ毎に、「立瀬将樹の姓名をインターネットで検索する会」の会場は大いに沸き返った。先生が戻ってきたのをしおに「立瀬将樹の氏名をネットサーフィンで探す一味」の者どもは興の冷めやらぬ顔のまま思い思いに散らばって行った。千葉隆などは、後ろめたさをおくびにも出さないによって直前まで立瀬将樹への侮辱行為に関与していた事を隠し通す算段であるのか、印刷物を熟読するふりをして顔の下半分についたてを設けつつそろそろと自分の席に帰ってきた。
立瀬将樹は、奥村進が保健の授業中に立瀬将樹の名前をインターネットで調べた動機について以下のごとく分析した。
クラスに流布する立瀬将樹に関しての知識が稀有であればこそ、インターネット上から得られる可能性のある情報に同級生たちの好奇心が寄せられた。また本人をよそに置いて、学級の一員についてインターネットで調べるという行為からは、その行為者が、その人と密接な仲を築いて、直に当人からの自己紹介を受ける意向を、すでに放棄していることが示されていた。「立瀬将樹の氏名をインターネットで検索する会」は「立瀬将樹とは交流が薄く、立瀬将樹に対して不可解という印象を抱き、かつ同人と親密な交際を結ぶ必然性を感じていない」者同士の連帯感を確認し合う目的で企図せられた会合としてあり、企画者たる奥村進の狙いは、立瀬将樹に自身の置かれた、クラスで誰とも気が置けない仲を築けていない、という立場をより明確に認識させ、のみならずそうした現況から脱け出す望みを薄れさせ、以ってその厭世感を煽るにあった。奥村進の、検索エンジン上に乗せるに際して、立瀬将樹をフルネームの体裁で表すのを、何の造作もなくやってのける様も、本名が忘れ去られるほどにあだ名が浸透しているのとは逆に、立瀬将樹がクラス内で同級生に姓名しか知られていない立場にあることを暗示していた。また奥村進は、立瀬将樹の如き、学級での同級生とのコミュニケーションが断たれているタイプの人間は、web上に自己の立ち位置を見出す傾向がある、とも踏まえていた。インターネット濫用事件の首謀者が最も切望していた大団円とは「本物」の立瀬将樹が公開しているブログなりホームページなりを見つけ出し、その全テキストを読み上げて、学校生活において誰からも友愛の情を向けられず、辛うじてインターネットを介した希薄な他者との繋がりを信じ込もうとする立瀬将樹のわびしさを仲間内で取り上げて囃し「立瀬将樹は弱小である」という論法をさらに逞しゅうすることだった。立瀬将樹は、ホームページ制作に取り組んだ記憶や、あるいは、学問、芸術、スポーツ、社会貢献などのコンクールに出場したり、道すがらに新聞社にインタビューされたりした覚えがなかったため、奥村進が「立瀬将樹の氏名を集積回路で調べる党」を旗上げし、同志を募って、満を持して検索ボタンをクリックする瞬間を迎えたところで、一座の達成感となるような立瀬将樹情報の発見はままならず、彼らが知るのはただ徒労のみ、と高を括っていた。だが、奥村進には履歴書メーカーを利用し、立瀬将樹に関する情報を捏造するという奥の手が隠されてあり「立瀬将樹の氏名をパソコン通信で調べるNPO法人」はブログを見つけた時ほどではないまでも大いに弾んだ。奥村進は立瀬将樹の経歴が一つ明らかになる度に「また新しい一面を発見したぞ!!」と感動を示し、それがいかに珍重すべき事態であるかを強調したのであった。

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※作中の登場人物の氏名はすべて仮名です

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