【奥村進、山浦秀男の倨傲3】

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立瀬将樹は、彼を、驕慢の心を増長させるための道具としか考えていない山浦秀男や奥村進を思うと憤ろしく、同級生全員の目に醜態を晒したために自分の株が暴落していくのを想像すれば焦慮極まりなかった。それでも立瀬将樹は奥村進、山浦秀男に心が千々に乱れている証拠を与えるのを潔しとせず、席を立ちもしず、顔色に苦悶の情を表さないように力を尽くしつつ、視点をスクリーンから動かすまいとしていた。立瀬将樹の人相の険しくなっていくのを見かねた松永一考が、それまでに所属していた部族の者たちに背後から「何だ、どうした」と問われるのに「ちょっと、ちょっと(座る場所を変えてみようかな)」と答えながら、先週、佐藤辰巳が腰を下ろした椅子へと出向いた。松永一考が「鑑賞会をクラスメイトと関係を深める場とすべきとは限らない、との価値観に賛同したように見せるによって、立瀬将樹の孤独感を和らげたい」という良識を働かせなければならなかったことが、自分が居たたまらない心境に陥っているのを誰にも読み取られていた証拠の一つであることを立瀬将樹は意識した。それからややあって、会議室の北西あたりに座っていた津村いおりが宇部友子に声をかけた。
「ねぇ、一考のとこ行こうよ」
そうして示し合わせた二人は、通り道に並ぶパイプ椅子の一つ一つの脚に上履きを引っかけ、特に立瀬将樹の座している椅子は蹴り揺すりまでして、ガたガた音を鳴らしながら、鼻息荒く、松永一考の両わきの席に駆け込み、松永一考に左右から、「いっこう♡、イッコー♡」と甘やかにささやいた。
「あ~ぁ、やっぱりなぁ」
と奥村進が溜飲を下げ、山浦秀男の眼は一層輝きを増した。立瀬将樹は、奥村進の言わんとするところを「やっぱり有徳の者孤ならず、必ず隣あり、なんだなぁ」「やっぱり桃李言わざれども自ずから下に道を通ず、なんだなぁ」の二格言に要約した。同じ群れから離れた立場に置かれても、自ら求めずとも慕い追ってくる者のいる松永一考の人望の厚さと比較すると、捨て置かれたきりの自身の人脈の乏しさが際立って意識され、立瀬将樹は自己否定の度を深めた、と山浦秀男は立瀬将樹の心理を推定した。しかし、本人の方では、「徳の豊かさ対決で立瀬将樹は松永一考に大敗を喫した」との風評がまことしやかに広まったによって、山浦秀男や奥村進が慢心を強めたことは痛恨の至りで、他の同級生の胸中でも、立瀬将樹への尊敬度がさらに皆無に近づいたのに思いを巡らすと気もそぞろではあったが、自らと引き比べて松永一考を妬ましく思うことはしなかった。松永一考をこよなく慕っていたことを理由に、津村いおりや宇部友子は、松永一考のかたわらの席に移ったのではなくて、奥村進や山浦秀男が抱くのとは異なる心理から、彼女らもまた、立瀬将樹の自信喪失を望んでおり、「立瀬将樹が松永一考に人気の多さ勝負で敗れた」との風聞をさも真実らしく伝えるつもりで、松永一考にすり寄った風に見せた、という見解は立瀬将樹にとって無理ではなかった。彼はこれまでに、津村いおりや宇部友子が立瀬将樹を観察し、新たに目にとまった特徴を、他の女友達に発表しているのを幾度か察知していた。津村いおりはある体育の時限の直前の休み時間に、着替え中の立瀬将樹を一しきり眺めやった後に、宇部友子を含む女生徒数人と、「お腹の所だけくびれてる・・・」「鎖骨の溝が・・・」という語の入り混じった会話を展開した。他日には、立瀬将樹が書き物に集中する毎に、上体を全て使って机の天板に影をさす姿勢になっていくの発見した津村いおりは、これを、「前のめってる!!」なる言辞で表現し、それを聞いた宇部友子や、その他の女生徒の間では、「前のめってるっておかしくない?」「前のめりにになってるじゃない?」「でもつんのめってるって言うよね?」としばし日本語学の論争が繰り広げられた。立瀬将樹が新調の服を着て学校に現れた日には、津村いおりと宇部友子の二人は決まって、「配色が子供っぽくない?」「フードの裏がチェックでシック」などと、その目に受けた印象を、ひそひそと語り合った。津村いおりや宇部友子の自分への関心の深さを窺い知り、両名の抱く好意に思い至っていた立瀬将樹にしてみれば、恋慕している相手が自分の手の届く範囲にあると思い做したいがために、その人を蔑む材料を探したがる心理から、津村いおりと宇部友子は、立瀬将樹に「松永一考との人格の豊かさ比べで負けた」と信じ込ませるようにはからうに及んだ、との解釈が真実であると思われた。

立瀬将樹は2005年11月11日の保健の授業での、佐藤辰巳の裏切りと、奥村進の歓声と、松永一考の善意と、津村いおりや宇部友子の愛と、山浦秀男の満面のほくそ笑みとを思い返して地団駄を踏む折には必ず、城伸助の微笑をも、同じ日にまみえた景色であったかのごとくに、合わせて思い起こした。立瀬将樹は、城伸助が「フリーです」と口にした時に浮かべた微笑みについて、「生徒達にとっては友人同士の親しみを深める機会を得られて喜ばしいはずの自由席ルールを発布するにあたって、見返りとしての立瀬将樹の微笑みを待ち構える意図が働き、口角が上がった」、「立瀬将樹が席順の指定の有無を問うた瞬間に、自分が生徒から指示を仰がれる立場にあることが明確化され、以って、教師としてのアイデンティティの補強を得て、喜びを感じた」、「授業中やホームルームでおしゃべりしたり、校内の清掃を怠けたりせず、学科の成績も優秀で、エイズの病理について知識を深める催しに一番乗りで駆けつけるほどの学習意欲のある品行方正な立瀬将樹に対して好印象を抱いていて、これと接するに際して人当たりが柔らかくなった」の三つの心証のいずれか、あるいは全てより表出せられた物であると見極め、さらに、この三了見にことごとく唾棄した。主催者側の席順を指定しないという判断が元で、「エイズの実態」が上映された会議室は、山浦秀男や奥村進はスクリーンに片時も目をくれずに連帯して立瀬将樹を嘲りのめし、立瀬将樹は増大する孤独感を抱えて書き物もままならず、津村いおりと宇部友子は湧き溢れる情欲に溺れ、松永一考は、立瀬将樹の辛酸を慮っては哀憐の情に気を取られ、その他の1年4組の生徒も、「立瀬将樹の存在価値」との議題について多かれ少なかれ思案を余儀なくされる、といった、エイズの病理を熟知するための映画の鑑賞会としての在り方とは隔たり果てた様相を呈した。生徒に学問を授ける責務を十全に果たせなかったどころか、山浦秀男や奥村進といった、自分が興がるために他人の人格を否定するような人間性の持ち主に増長する機会を与え、立瀬将樹に真面目に学習に取り組む意欲を持ったことが、自らに災いをもたらしたという体験を味あわせ、以って公序良俗の乱れを励ました仕儀を念頭に置けば、城伸助の「教職をまともにこなしている」との自負が客観的であると認められるはずがない、とが立瀬将樹の謂いだった。また、その不配慮さを呪いこそすれ立瀬将樹が城伸助に敬慕のまなざしを向けることは彼の在校中に一瞬間たりとも無かった。

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※作中の登場人物の氏名はすべて仮名です

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