【奥村進、山浦秀男の倨傲2】

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立瀬将樹が昼休みの間じゅう図書館で過ごしているとの噂を聞きつけた山浦秀男は、まぶたをやや吊り上げて目を見開き、法令線から上の頬の皮を頬骨の方へ寄らせて小高く盛り、それとともに上唇の引き上げられたすき間から歯列を覗かせる、という表情で、立瀬将樹に問いかけた。
「人生楽しい?」
四時限目が終わるとすぐに、一人教室から立ち去り、5時限目が始まる間際に舞い戻る立瀬将樹はどこで昼食をとっているのか?という議題についての1年4組内の関心が、幾日もかけて極まったのを受けて、ついにその旨を当事者へ問いただすに至った、得た答弁の内容をクラス中に触れ回るつもりの女生徒二人に対して立瀬将樹は、「自分は昼ご飯を図書室で食べ、昼休みの間じゅうずっと図書室に籠もりきり、本を読んでいる」と明かし、さらに、「それは読書が好きだから」と付け加えていた。大多数の同級生が馴染みの間柄の級友同士で誘い合わせて弁当を食べるのの傍らにあって、学級内の誰とも友好を結べていない者の孤独感は甚大となるため、昼休み中の教室にとどまること能わないという立瀬将樹の事情は山浦秀男の推し量るところとなった。そして、「昼飯時に教室から出て行くのはそこが居たたまらない場所だからではない」とか「昼休みは、クラスメイトとの雑談に興じつつ昼ご飯を食べるという、自分の存在が他人によって是認される機会を得るために使うべきだ、との通念を弁えていない」といった雰囲気を自らに纏わせ、それを見る他人に「友人と一緒に食事をとることが叶わない立瀬将樹は人後に落ちる」との論法を働かせにくくさせ、そのような意味の言葉を自分に向かわせ辛くさせたいがために「図書館での読書をこよなく愛する人物」を装うに及んだ来歴をも山浦秀男の洞察できない限りではなかった。山浦秀男は立瀬将樹の胸中の寂しさを想像すると、クラスメイトと人並みに挨拶のある自分の立場が上手に出たように思え、愉悦を感じた。立瀬将樹が自身の巡り合わせを苦にしている度合いを多く見積もるために、山浦秀男は立瀬将樹の昼休み中の身の処し方について、「楽しくなさそう」との批評を本人に投じたのであった。山浦秀男からの蔑視に気づくと、立瀬将樹は2005年5月7日の書道の時限において、山浦秀男に墨汁を分け与えたことを思い返した。自分から迷惑を被ったことがないどころか、かつて、自分の心づかいによって利益を得たはずの者が、その恩人を軽んずるのか、と立瀬将樹は悲嘆に暮れた。クラスで誰とも親密な仲を築けていない人物に対してならば、当人の気にしている短所をあげつらって優越感に浸るという侮辱行為を働いたとて、その人物と同調して行為者に憤りを持つ者はない、とも山浦秀男は心得ていた。山浦秀男は他人が貶まるによって得られる、自分が誇らしい地位にあるかのような気分になる快楽に味をしめ、これを確保するためには、「立瀬将樹の存在価値は絶無だ」といった論評が、主観的にも客観的にも肯定されていなければならないとの観念の元に、立瀬将樹の人甲斐ひとがいの規模を矮小とみなす助けになる、立瀬将樹の醜聞へ常に目を光らせるようになった。
2005年9月1日には二学期の始業式が予定された講堂に、全校生徒が集った。入学当初に教師よりなされた、この類の催しが開かれる際には、生徒は、学級ごとの成員が五十音順に則る順番で連なった縦の列を横並びに整える陣形で、演壇に向かうように、との指示を念頭に置いて、立瀬将樹は、1年4組に割り当てられた、細い長方形の区画の、前に26人が体育座りできるスペースの空いた地点を見定めて腰下ろした。そして1年4組一同が講堂に会したところで、彼は背後に山浦秀男の怪訝な声を聞いた。
「ちょっとさぁー、もっと前行ってくんねぇ?」
入学したての頃には、誰とも深い仲を築けていない心許なさや、規則を破ることでどの程度罰せられるかを知らない所から学校側の制定した規律に従う方に判断を傾けた一学年の生徒も、年度の初めから数ヶ月を過ごした今では、多くが決まりに違反してでも全校集会にて気心の知れた友人と近しい位置に添うて、知己同士で互いを相認識し、心安立てな交わりのある様を明瞭にし、以ってその絆を強めたい旨を抱くほどの厚かましさを身につけていた。山浦秀男が非難した立瀬将樹の咎とは、立瀬将樹が正規の場所に座したために、1年4組の大部分の男子生徒が懇ろな者同士で前後する配列で築いた、ひとつなぎの縦列の収まるスペースが狭まったことだった。山浦秀男が立瀬将樹に「前に行く」という方向性のみしか提示しなかったことが、立瀬将樹の、クラスの人間関係から疎外されている実情を承知していた証明であり、また、立瀬将樹に対してぞんざいな口のきき方をしたことも、軽蔑心の表れであるととらえて彼は陰鬱な思いをかみしめた。山浦秀男から邪魔者扱いされて、不愉快な気分になっても、立瀬将樹は、クラス内で誰とも交友を結べずにいる点を苦にして卑屈となり、「要望に諾えば相手の反感を買わない」との思考回路の元に、級友と利害を分かつ場面において自らの意向を示しがたくなっていただけに、「聴衆が仲睦まじい顔ぶれ同士で寄り合うという、壇上の人の講話を妨げる騒がしさ生む、主催者の戒めている行為を犯す者に協力する筋合いはない」と言い放つなり、山浦秀男に反駁を試みもせずに、黙して前方ににじり進んだ。
2005年9月9日は、文化祭にて、1年4組の企画した出し物を運営する費用を、クラスで徴収する日であった。その日たまたま、一銭をも持ち合わせていなかった立瀬将樹は割り当て額の1000円を支払うために、昼休み全てを使って雨降りの中を家まで、置き忘れた財布を取りに戻らなければならなかった。会計係に、「家まで取りに行ってくれたの?ごめんね」と労われる立瀬将樹を目にして、山浦秀男は、「1年4組内はもとより学校全域において借金を頼めるつてもないのか」と言わんばかりの会心のほくそ笑みを浮かべた。ある時には、立瀬将樹と松永一考という生徒の顔立ちが似ている、との話題の上された輪に加わって、山浦秀男はたしなめるような口調で、立瀬将樹にぎりぎり聞こえる音量で
「一考に失礼だよォ」
と嘯いた。
「エイズの実態」の冒頭から中盤にかけてが公開された会議室にても、山浦秀男は、立瀬将樹、佐藤辰巳の両名に対し「1年4組の無価値な者ランキング」上位二人が吹き溜ったなという評価を下し、含み笑みを帯びていた。立瀬将樹に不運が訪れた場面に接した山浦秀男が立瀬将樹の卑小さについて確信を深めた度合いは、その頬肉を引き上げただけ増す目元の陰翳とまぶたの引き上がるほどに多くの光を取り入れる瞳のまばゆさによって測られ得た。そうして、「エイズの実態」の後編が映写され始まった会議室で、山浦秀男が満面に湛えたあざ笑いは、それまでに立瀬将樹のまみえたどれよりも、煌々たる眼光を宿していた。山浦秀男は「立瀬将樹は疎ましい人間である」という意見が、1年4組全員の数から1を除いた数だけ本人に寄せられていると現況を説明した。

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※作中の登場人物の氏名はすべて仮名です

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