【B毒の汚染】 第七章~断片の結合~ その2

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二の句が次げないでいる父に、私は、
「いじめられるから」
と、かぶせて言いました。
「そんなんで、どうするの・・・・」
私の三発言を聞いた後の父親の言葉の力は、明らかに弱まっていました。
「苦しむだけだから」
「どうせ、中退することになると思う。お金も時間もムダになる。後悔だけが残る」
「昔の学校の同級生に、今も絶対会いたくない・・・」
「それに俺、今、夜ちゃんと眠れてない・・・」
「耳が変に、過敏だし・・・・」
父親が何も言わなくなると、私は二階の自室へ戻るふりをして階段の曲がり角を曲がって、最上段を上りきると、そこで聞き耳を立てました。居間と続きになっている和室で、夫と息子の会話を傍受していた母親に、父親は、
「友達ができないから・・・」
と、復唱しました。
「そう言われれば、もっとその気持ちを考えてやれば良かったかも知れん・・・・・」
母親の方も、何も弁護できずに、黙ったままでした。
心の裏側に「マサキはもしかしたら、学校で一人も友達ができていないとか、いじめられているとか、メディアでよく取り上げられる、お決まりの理由で学校に行きたくないのかも知れない」という疑いを持ちながら、必死にそのことを論題にあげないようにしていた、というのは、私自身も両親も変わりなかったのだと思います。
先日「体育館で悪人の同級生と三時間隣席しただけで、その後4年以上にもわたる増悪の末ついには自分の身体に随意に触れる権利さえ失われるほどの後遺症を負わされた」という、「学校生活で人間関係がうまく行かない場合の悲惨な実態」に関する具体例を提示されたことを踏まえた上で、私が、学校で孤立に悩んだ立場の人であり、いじめ被害の当事者であると宣言した後には、それまでどうにか無関係を装えていた「子供には、同年代の友達との楽しい思い出が必要だ」とか「学校に行きたくないと言っている子供を無理に学校に行かせる事はよくないことだ」とか「いじめから守り抜くことを含めて子育てだ」といった、世間の一般論として言われる意見が、単なる決まり文句としてではなく堂に入った意見として、己らに適用されることにようやく想到したのだと思います。
この日以降父親は、ひいては母親も、私の進路について口出ししなくなりました。大学に進めとも、専門学校へ行けとも、就職しろとも、せめてバイトしろとも、資格を取れとも、「おはよう」とも何とも言わなくなりました。むしろ家屋内で、私が先に入室している部屋を避けるようになりました。これもメディアのよく報道する「学校でいじめを受けて何も助けを受けられず引きこもってしまった生い立ちの者は自殺をする確率が比較的高い」という情報が念頭にあり、彼らの脳中には「息子に自殺されたら、体面を汚されてしまう・・・」という想像が渦巻いていたのだと思います。

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