【B毒の汚染】 第七章~断片の結合~ その3

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両親は、進路に口出ししなくなりましたが、19歳の私の中にも、人生の磁針はありませんでした。
私はなおも、社会復帰を遂げるために福島に移住して二年間空手を習う計画を手放せずにいました。
私の中で、最初に空手道を極める計画が立ったのには「第三章 ~涵養~ その6」に記した通り、「自分は人前で固い表情を崩せない」という認識を踏まえた上で、固い顔に筋肉美を組み合わせた侍のようなアイディンティティーをもってでしか社会生活に入れないに違いない、という視野狭窄も影響していました。
私は、肉付きの面を取り外すことに成功したのと同時に、それまで自分が「人前に出れば、否定的な表情をされる」という強固な経験則を持っていたのが、学校でドーパミンの慢性中毒者から積極的に存在を否定されたという体験の他に、
エレベーターで乗り合わせた人や新幹線で通路側に座っている人に、肉付きの面に操られて、目逸らしさせられたり、会釈をさせてもらえなかったりなどの体験に影響されたためであったことに気がつきました。
私はもはや侍の将来像にこだわらなくてもよくなったのに、それでも武道家への志が保たれたのは、いじめ加害者に対しての恐怖はかえって以前より大きく、それへの対応力を熱望する心も強いままであったためでした。
実家から空手教室に通えない理由は、2008年時点に比べてより堅固になっていました。私は、ちょっとした買い物に出るのだけでも、門柱から道路に出るのに、おっかなびっくり左右を見回してからしないといけない有様でした。最寄りのスーパーでは、視力が悪いのを喜びながら、誰の顔にも目の焦点を収斂させないように努めるのでした。
自主的に少しでも運動したくても、高校時代に利用していた近くの公園の外周コースは使えなくなり、それに、「いつ一睡もできなくなる病に罹ってしまうかわからない」という想定もあって、運動する習慣を持っていた場合にそうしたことが起これば、運動の習慣を持っていなかった場合よりも衰弱死までの期限が短くなってしまう、という意味で、運動は躊躇を感じることでした。

この時期の私の時間の使い道は、やはり小説で自分の過去の心理を書く続きでした。
私が最初に深く掘り下げた心理は「恥ずかしさ」に関してで、一番初めの成果は肉付きの面を取り外せたことでしたが、長谷部先生が薦めた通りの、「『恨み』の感情を回顧録に詳しく書きあらわせばその情動を抑えることができる」、という計画にも、おいおい取り掛かりました。
私は、自分の身の回りに仕込まれた、地団太を踏む発端になることがある視覚的、聴覚的、言語的、動作的なオブジェクトを書き出して、それらを、使われた場面ごとに仕分けして、一場面一場面を一連の時系列に沿った掌編にまとめていきました。
一方的に人権を奪われて、何も反抗できなかった記憶を思い返すのは、単に孤立無援で青春を手に入れられなかったことを、掘り起こすよりも拒絶感が大きいことで、着手してすぐには、加害者のフルネームを書くのすらためらわれましたが、こらえつつ、それまで脈絡なくちりばめられていたオブジェクトをジグソーパズルのように組み上げて、一本の筋書きを完成させると、その物語に登場させたオブジェクトは、悪いエネルギーを原稿用紙に封じ込められた如くに、確かに、単なるありふれたオブジェクトへと戻っていたのでした。オブジェクトに触れた時のストレスは、嫌な場面の時に登場した道具だからその場面を思い出している、と論理的に自覚できる面と、過去の映像に自動的に眼窩を塞がれる、という生理反応の面を併せ持っていましたが、その生理反応的な面も同時に消え去りました。

ただし、中学校の三年生を送る会の記憶を呼び覚ますオブジェクトには、含んでいる毒が濃密過ぎて、まだ自ら触れることは出来ないでいました。
第一章で記したような、現場の生々しい描写をつづれたのは、もうしばらく後のことでした。

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