【涙尽きても憂い尽きず】

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「学校から帰るや否や泣き喚く」という、自分が学校関連で何か悩みを抱えていることを強力に示唆するエピソードが記憶に残りましたが、だからといって、その後の私に何か変化が起こったということはありませんでした。自分が悲嘆に暮れている理由を半分ナミのことにしてしまったために、「クラス内の自分の位置づけについて」とか、「肉付きの面の効果のほどはどうか」とかいう考察に完全に向き合いきれず、したがって、このエピソードを経ても肉付きの面を覆すことは出来なかったのです。その日が明けてからも、私は、自分の家の布団の上で無様な姿をさらしたのをおくびにも出さずに、渋面を引っさげて、学校に通ったのでした。また、幻のルフィにすがり付いて救済を祈念したのに、もはや全校集会における番号順に並ぶルールはなし崩しになったまま元に戻ることはありませんでした。私は、始業式の後二週間の内に、2回の全校朝会と、進路ガイダンスと、避難訓練と、芸術鑑賞会とに出席して、そのことを確信したのです。全校朝会は、毎週火曜日に時間が設けられていて、それに、毎週木曜日の、昼休み後の五時限目の後の、最後二つの時限は、「総合的な学習」と称する全学年に共通の臨機応変に行事を組み入れる時間割として空けられていて、そこに組み入れられる行事は、進路ガイダンスだの、人権講話会だの、芸術鑑賞会だの、生徒総会だの、約60%は私が忌む類の行事であり、かつまた学校側の何かの都合で、それ以外の曜日にも会合の機会が設けられることもあり、私にとって週におおよそ二回の頻度で身の置き所を失うのは、絶対的なことでした。私は、始業式を経た後からは、全校集会にて、講演の始まる間際の時間に、自分のクラスの割り当て区画に入ると、周囲を観察して、人の固まりが膨らんでいくのにあわせて、立ち位置を微調整するようになりました。私は、自分の苗字の頭文字が「た」であるのを恨みました。私の出席番号順は、27番という真ん中よりの順番であるため、最初に列に加わる位置もそのあたりに定めましたが、前後のどちらに大きな人の塊が出来るのか予測がつきませんでした。そのように立ち回ることによって、直接、存在をないがしろにする発言を受けることまではなくなりましたが、自分の前後にだけ空間が空くのを視認するだけでも、居たたまらない思いでした。

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