【新学期に急転する】

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2005年9月1日、二学期の始業式のことでした。私が、1年4組に割り当てられた、長い長方形の区画の、前に26人が体育座りできるスペースの空いた地点を見定めて腰下ろすと、ほどなくして背後から山浦秀男の怪訝な声がしました。
「ちょっとさぁー、もっと前行ってくんねぇ?」
一学期の内にクラスメートと仲を結べた人は、夏休み期間の間にその友情をより深めたのだと思います。そうして、夏休みが明けたまさにこの日に至って「全校集会で50音順に並ぶルール」は、初めからなかったことのように自然消滅してしまったのでした。山浦秀男が非難した私の咎とは、私が正規の場所に座したために、1年4組の男子生徒の大半の人数が参加した、懇ろな者同士で前後する配列で築いた大所帯の収まるスペースが狭まったことであったのです。
山浦秀男の、人をのけ者にする言葉の語義も、ぞんざいな口調も、私にとっては不愉快至極でした。山浦秀男は夏休みを経て、自分がクラス内で築いた人間関係が磐石だと考えるのとともに、私が陥った、クラスの人間関係から疎外されている状態が解消される可能性について、大変低いという評価を確定させたようでした。しかし、そんな仕打ちを受けても、私は例によって、黙って前方ににじり進んだのでした。この後、仁藤武弘と曽根高哉が1年4組の列の近くに来ると、仁藤武弘は、曽根高哉に「立瀬の前だ」と言い、これに曽根高哉は「いや~」と(番号順なんて放っておけよ冗談じゃないよ)という意味の苦笑いをして、二人は連れ立って、列の適当な空きスペースに加わりました。仁藤武弘は、曽根高哉が拒否的言動をするのを半ば予期していて、私に、曽根高哉による悪口を聞かせるために、誘い水として「立瀬の前だ」と言ったのだと思います。また、仁藤武弘が、私のことを指す発言をするのを聞いたのは、入学してからこの日が初めてでした。初めての呼称され方が、呼び捨てであったのでした。後に観察した所によると、仁藤武弘は、発言力や集客力のある動員人数の多そうな同級生はあだ名で呼び、そうでない同級生は呼び捨てにするという性質の持ち主なのでした。私と仁藤武弘には、一学期中にまるで交渉もなかったのに、クラス内に流れる噂が、仁藤武弘に私を見下させたようでした。

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