2005年7月19日には、職員会議で議題になったのか、朝のホームルームにて担任の教師から、「全校集会の時には番号順で並ぶように」という話が改めてあったのですが、曽根高哉は「番号順だと?そんなもん知らねーし。そんなもん、認めねー」と愚痴っていました。ホームルームの最中でしたので、その音量は「口の中で言う」範囲でしたが、口調はたいへん不機嫌そうでした。その時期の、教室内での私と曽根高哉の座席は、囲碁でいう桂馬の位置関係にあり、曽根高哉が、私に聞かせるつもりだったのか、微妙な距離でしたが、問題は、私がこのホームルーム中に曽根高哉がまったく改心しなかったのを知ったということです。
私はその日の「薬物乱用防止講習会」でも、自ら曽根高哉の前の位置に並んでしまいました。ただ、私の前にいる人物は、もはや古堂あかりではなく佐藤辰巳でした。担任の教師は、特に曽根高哉や私を指して、規律を守るようにと言ったのではありませんでした。クラス全体で、いや学年全体で50音順に並ぶルールがなし崩しになりかけていたということなのです。入学したての頃こそ、誰とも深い仲を築けていない心許なさや、規則を破ることでどの程度罰せられるかを知らない所から学校側の制定した規律に従う方に判断を傾けた一学年の生徒も、年度の初めから数ヶ月を過ごした今では、多くが初々しさを失い、「決まりに違反してでも全校集会を気心の知れた友人との絆を強める場にしたい」という意見を持つ人が、過半を占めつつあったのでした。
すべてのクラスに、担任教師から指導があったと思われるこの日も、違法薬物の啓発ビデオが上映された空間では、前後の同級生にいつでも雑談を振ろうと半身であぐらをかいた人が何人も混ざったガタガタの縦列が、それに、男女混合名簿なので、紅白まばらになるはずなのに、女子のほとんどがひとかたまりになって前か後ろに固まっている縦列が、横並びともなく横並びになり、上映中スクリーンに茶々を入れる声が間断なく聞かれました。
朝のホームルームでの注意が功を奏していないのは誰の目にも一目瞭然のはずでしたが、担任の教師がイベント中わざわざ指導に割り込むということはありませんでした。
7月20日には一学期の終業式がありましたが、その様相は、言わずもがなでした。