【本を読めない図書室】

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私は、持て余した時間を潰す場所を基本的には図書室に定めましたが、決してそこで安息所を得たと感じていたのではありませんでした。私が「本を借りて読む」という、この場所の設立された目的のとおりの使い方で図書室を使用することは稀でした。たとえ興味のある本を手に取りテーブルに広げてページに目を落としていても、集中力は出入り口の開閉を確かめる聴覚に絶えず殺がれていて、引き戸が開く音がするたびに私は焦燥を湧きおこし、その方を窺って、入ってくるのが自分のクラスメートではないことを念じなければなりませんでした。
私のクラス内では、ほとんど全ての人が「立瀬将樹は昼休みの間じゅう図書室で過ごしているらしい。本人曰く読書が好きなのだとか」という噂を聞いていると思われましたが、現実に現れたクラスメイトの前で、みじめさや弱みを掴まれる事への恐れを顔色に出さずに書物に没入している様を演じ通せる自信は、私にはありませんでした。図書室での読書を内心では苦にしていることが明白となれば、すでに流れている噂に新たな進展が加わってしまう気がしたのです。大局的には、人生における読書体験は豊かにあればあるほどその人を益するのだとしても、少なくともこの高校では昼休み中の図書室の座席を埋めるのは書籍ではなく静かな場所が目当ての受験勉強に忙しい三年生ばかりで、単独に、友人との付き合いを振り切ってまで書物を広げに来ている人は見当たりませんでした。その事実は、私の姿がクラスメートに見られる可能性が少ない点では利点でしたが、偶然見られた場合には言い訳がきかない点で、不利益でした。
私が隠れ蓑として図書室に期待した度合いは、しばらくとどまっていても私に対しなんの予備知識のない別のクラスの同輩や先輩の目に目立たないという程度でした。私は図書室に来てもっぱら、「王」字型の本棚の袋小路の一つに納まって興味のある題名を探す振りをしながら、並んでいる背表紙の上層のすき間から、出入り口へ目を光らせました。入ってくるのも入ってくるのも三年生ばかりで、同じ学年の生徒が現れることさえあまりありませんでしたが、私は引き戸が開く毎に何度でも心臓を縮み上がらせました。
結局、高校一年生時通しで、昼休み中の図書室で同じクラスの女生徒二人組と居合わせた経験が三度ありました。その三度ともに、事態を知るやいなや私は血の気を失って、ぎこちない動きで「王」字型の本棚の奥側のふちへと急ぎました。そうして、目的の本を探そうと本棚の周りを一周するつもりの女子の動きに合わせて常に本棚越しに間合いを保ちつつ、本棚の手前側に移った所で私は、音を立てずにと急がなきゃと平静を装いたいとを心中にせめぎあわせて大股の早歩きで出口に向かい、引き戸を最小限の距離だけすべらせたすき間をすり抜けて、後ろ手にゆっくり戸の位置をもとに直しました。図書室を脱出した後には決まって、実は足早に立ち去った後ろ姿を目撃されていて、女子たちはその事を云々しているのではないか?と気を揉みました。
ほかにも私は、全く面識のない生徒が二、三人「王」字型の本棚の一辺に陣取って、調べ学習の資料をあれこれ吟味しているような場合でも、折を見て図書室を退出しました。座席で受験勉強に勤しむ三年生ならいざ知らず、背表紙を眺め回すばかりで本を手にとっても席につこうとしない私の不自然さをその人たちが勘づかないでいる時間は、15分が限度と思われました。

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