私は、四時限目が終わると、学食派、購買派の同級生が教室から散ったのを見澄まして立ち上がり、きまって教室のすぐ近くの水道へ手を洗いに行きました。これは、単なる時間稼ぎのためだけではありませんでした。
私には、教室に残った弁当派の同級生の内に、まだ山口鮎子と笠端真由が流した噂を聞いていない人がいるかも知れない、と考えたい部分がありました。手指消毒には、そういう人が「立瀬将樹は昼休みをどこで過ごしているのか?」という議題を遅ればせながら他の同級生に振る、ということを起こりにくくするために、あるいは、すでに噂を耳にしている人がからかいの心によって、改めて、そのことを話題に出すということを起こりにくくするために、目をつけられるかも知れないポイントである「立瀬将樹が教室を出る動向」に際して、「それをしたのは、四時限のあいだに手についた汚れを洗い落としたいためだった」という真っ当至極な体裁を自らに付与するによって、それを自然な風景に溶け込ませ、もって観察者の一瞬の油断を誘うというフェイントの意味合いもこめられていたのです。