心理描写学研究所の目的

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一人ぼっちの生徒が強がりをやめるには、学校生活のことを客観的に小説に書けばよい

はじめまして、立瀬マサキと申します。1990年生まれの27歳です。私は、ずっと以前から温めていた計画があり、2018年2月7日にブログを立ち上げました。どんな目的でこのブログを作ったのかを説明するために、まずは、もう十年以上も前になる私の高校生活のことについて述べさせていただきます。
私は、高校在学中に、暗い性格のためクラス内で誰とも親しい間柄を築けず、それによって一部の同級生からいじめの対象にされ、そのせいで高校を卒業するころには、社会に対する自信を失って、とうてい大学進学したり就職したりする気になれず、それでいて高校の同級生を見返すために作家になりたいという野望を募らせ、自室にこもって古今東西の名著を読み漁ったり、自作の小説を新人賞に応募したり、という生活をしていたところ、対外関係がなかったために、強迫性障害という身の回りの些細なことにこだわってしまう病を発症し、しかし、精神療法によってそれを克服したという、かいつまんで言うとそうした身の上の者なのです。
そうして、学校での孤独な体験をしたことと、小説を書く習慣を持ったことと、強迫性障害の克服に努力したこととが合わさり、私は、いじめ問題や引きこもり問題に一石を投じられそうなある発見をしたのです。

私の学校生活のことについてもっと詳しく言うと、上で書いたような「クラス内で誰とも親しい間柄を築けなかった」、「いじめの対象にされた」という説明を自分の特徴として口に出すことが出来たのは、高校を卒業してから、一年以上後のことであったのです。高校在学当時には、その二つの悩みは、学校外の他人にも、家族にも誰にも打ち明けられませんでした。いいえ、それどころか、その事実はあまりにも辛すぎて、自分ひとりで部屋にいる時でさえ「自分には友達が出来ていない」とか「いじめに悩んでいる」とかいう構文を作ることが出来なかったのです。「学校に行く」という動作を取ることと連動して悲しみの情が湧き出る法則があることを感覚としては感じながら、その理由を考えようとしても、思考は次のようになってしまうのでした。「自分は何でこんなに悲しいんだろう、それはもしかしたらこういう理由だからかな・・・・自分にはクラスの友d・・・・いや、何でもない!!」「自分は一部の同級生たちに一方的に馬鹿にされることが多いな・・・。もしかしたら自分はいじm・・・・いや何でもない!!
問題の核心に触れようとすると、胃の裏の少し下から、溶岩のような熱さがせり上がり、圧迫を受けて上半身の内圧が高まるのを感じ、肺が押し込められて息苦しく、心臓が早鐘を打ち、頬が火照って張り詰める、という感覚に苦しめられ、その動作を中断せざるを得なくなったのです。それはつまり、同い年の青年と談話して楽しい時間を過ごすという大多数の人にとって標準である利益を、自分だけが逸していることへの悲哀と焦燥という感覚でした。焦燥とか悲哀という言葉を当てることが出来たのも後年のことで、その感覚を感じた瞬間の私の心の中は、ただ「熱い!!内臓が焼け焦げて死んじゃうよ!!!早く考えるのをやめたい!!!」という叫喚でした。

自分で自分の弱点を見ることが出来ず、当然ながら、他人に急に弱点を指摘されることはなおさら恐れていました。私は、高校の校舎内にいる間じゅうほとんどの時間を、真顔とか、お澄ましとか、仏頂面とか、気難しい表情とか、とにかく人を寄せ付けない表情をして過ごしました。その習慣が始まったのは、入学してからわずか5日しか経っていない時でした。私が他の新入学生に自分から声をかけるのを臆している内に、クラスメイトたちが休み時間や昼休みの毎に三々五々のまとまりに分かれて漫談をして、まとまりの成員同士が互いの見慣れ具合を日に日に強めるのを私は見て取りました。そうして5日目にして私は、学級内のどのまとまりも今さら私が歩み寄っても、そのことに意表を衝かれたという表情を一斉に私に向けるであろうという予想を確定させたのです。
その瞬間から、私の顔には不愛想な造りをした肉付きの面が食いつきました。すなわち私は、自分のクラスメートが「世の中の人それぞれに多様な価値観があるように、人脈の多い者ほど良しとされる価値観が一般的であるとしても、その価値観に頓着しない人もありうるのかもしれない」と思ってくれる余地があることに期待していました。私は人望の多い者ほど優位とする価値観に無関心たる人物に扮するによって、自分を見る他人に「孤独を苦にしている」という印象を残らせにくくさせ、私と同級生と目が合った時にその人の顔が、ほくそ笑むとか不憫がるなど、私が陥った状態の不幸さ加減を積極的に支持する表情に変わる可能性を下げて、すなわち自分が精神ダメージをうける可能性を下げて、もって自らの将来の生存確率を上げたいという心理から、学校にいる間じゅう表情を仏頂面に固め、他人と積極的に視線を合わせない習慣を保つようになってしまったのでした。
繰り返しになりますが、上記のように、その現象に「肉付きの面」という名称をつけて、くどくどメカニズムを説明できたのも、やはり学校生活から脱出した後のことでした。肉付きの面に食いつかれた最初の感覚を言うと、胃の裏にマグマを感じるや否や無意識の内に、「その生理感覚がそれ以上増えないようにしなきゃ!」と危険信号が働き、反射的に表情筋を動かされ、固められたという感じでした。「『友達が出来ていないのか、哀れな奴だ』と言われにくくするために、自分は仏頂面で表情を固めるぞ!!」などと、心の中で述べてから、自主的に顔に被せた物ではなかったのです。肉付きの面をつけるようになってから月日が過ぎていき、私は通学路では引き締まった顔に、校舎に入るとしかめっ面に、教室に入ると仏頂面にといった、クラスメートに近づくほどに人好きがしないように顔に動力が加えられるパターンを、毎日他人事みたく観察していました。しかし「何の目的でそれをつけているのか」については、自分の心の中で説明できないままでした。
しかも私は、他人から見下されないように肉付きの面を身に着けたはずでしたが、高校生活が始まってから数か月も過ぎると、先に書いたとおり、一部の同級生が私からは何もしていないのに、私を軽侮しては愉悦に浸るということをし始めたのです。自らの脳内を快楽物質で満たすために、特定の同級生を貶めようという思考回路の持ち主が、どんな同級生をその対象にするかというと「クラス内で誰とも親密な仲を築けていない人物に対してならば不当な侮辱行為を働いたとて、その人物と同調して行為者に憤りをもつ者はいない」「また、学級内で誰とも交友を結べていない人物の方でも、後ろ盾のない卑屈さのために不当な侮辱行為を受けてもその行為者に反撃を行いにくいことが予測できる」「なおかつ、孤独な生徒を、孤独さゆえに不当に貶めることによって、行為者は自分が人並みに持っている人脈の価値を、より照り映えて感じられる他、孤独な生徒が孤独であるために受ける不利益を、自分の仲間にありありと見せしめることになり、仲間の一人一人に、人とつながりがある恵みを意識させ、もって自分の仲間との結束を強めることが出来る」という三つの根拠から、それは真っ先に孤独な同級生を狙うわけで、そういう思考回路を持つ人の、積極的に孤独な生徒を探す視線の前では、私の肉付きの面など無いも同然であったのです。
その上、そうした快楽物質の慢性中毒者の人はともすれば、学級内でグループ分けをする時に案の定私の周囲に空間ができると、嘲笑した表情をして私としつこく目を合わせようとしてきたり、インターネットを使う授業の時に教師の目を盗んで、クラスの男子生徒を集めて「立瀬マサキは、クラスで誰とも交渉がないため、流布している情報が少ない」ということを、集まった生徒同士で確認しあうために、インターネットで私のフルネームを調べるという企画を興したり、まさに「人脈の少ないことによる不利益をことさらにあげつらう」手段によって侮辱を加えて来ました。
しかし、何度そうした体験を経ても、私は肉付きの面を外せなかったのです。肉付きの面に大した効果がないことには漠然と気づかされましたが、一学期が始まってから侮辱を受け始める数ヶ月の間に、人間生活に理解がない振りをするための表情筋が鍛え上げられてしまっていたのです。それに、私に対する侮辱を働いている最中の行為者の表情は、仮面が破れて、私の内心の寂しさが漏れ出たら、すぐさまさらなる軽蔑するぞ、という心構えが見え透いていて、そうした経験を経れば経るほど、私はその者たちへの反抗心によって、却って肉付きの面の糊を濃くしてしまったのです。

もっと嫌なことには、肉付きの面が効果を発揮するのは、学校内だけに留まりませんでした。肉付きの面は元来、高校の同級生に見せつけるためにかぶり始めた物でした。しかし、いつしか私の人望を集めることに頓着していない演技は板につきすぎ、私は高校の外でも、私について何か予備知識を持っているはずもない人に対してでも、他人と言う他人にフランクな表情が出来なくなっていました。買い物をする時も、棚のどこに欲しいものがあるのか店員さんに聞けなくなり、それに通路に人がいてぎりぎり通れない時に、声かけせずに身体で押しのけるようにもなりました。理容院に行って、理容師さんがあれこれ話しかけてくれるのに、真顔のまま、ろくに返事をしないまま施術を受けきって「あの・・・。何かしましたか?」と聞かれてしまったこともあります。
他には、ある時足首を傷めてカイロプラクティックにかかったのですが、先生が、愛想笑いを交えて問診をしているのに、私は、真顔で先生と目を逸らさないまま、問診を受け切ったことがありました。
高校をなんとか卒業して引きこもり期間に入っても、たまに外出するときに人前でそんな態度をとってしまうことは変わりませんでした。

転機が訪れたのは、引きこもり期間が、一年にさしかかった頃でした。私は、他人と会わなすぎて潔癖症にかかってしまっていました。トイレの水洗コックや、便座や、電池や、耳垢など生活のあらゆるものを病的に汚いと思い始め、何かに触れるたびに複数回手を洗わなければならなくなったのです。私は、だんだんに支障が大きくなっていく状況に我ながら愕然として、焦燥の虜になり、メンタルクリニックに駆け込みました。診断名は強迫性障害(考えたくない思考=強迫観念に気持ちが支配される病。潔癖症、神経性不眠症、神経性聴覚過敏、パニック障害なども含む概念。)でした。

メンタルクリニックでは、強迫性障害の治療法として、曝露反応妨害法と言うものを教わりました。曝露反応妨害法は、「不安な衝動を呼び起こす状況にあえて身をさらし、強迫行為(強迫観念を一時的に沈めるための行動。この場合は必要以上に手を洗うこと。)を我慢し続けることによって、強迫行為を行わなくても時間が経てば不安感は自然に薄れてゆくということを知る療法」なのだそうです。メンタルクリニックの先生は「治療前の強迫性障害の患者はほとんどの場合、強迫観念にさからった場合の不安感は、漸増直線を描いて無尽蔵に増大するものと想像し、その精神的打撃によって最終的には死んでしまうと自己診断をしている。しかし、実は強迫行為を踏みとどまることによって生じる不安感は40分でピークを迎えて、2時間半経てばほとんど薄れてしまう。これを4日続ければ、不安感が生じること自体がなくなって来る。その後は、だんだんサボりがちになりながらも一ヶ月習慣を続ければ、自分がその強迫観念を持っていたのが信じられなくなる」と予言しました。不潔だと思っているものに触れても、一回手を洗ったら我慢して、その指であちこち触れ回るべき、ということなのでした。曝露反応妨害法に取り組む最中には、むしろ自分で不安感をわざと起こす心がまえでするとよいとも言われました。私は先生の言うとおりに実行し、実際の経過も予言の通りをたどりました。

さて、メンタルクリニックの先生に相談する習慣ができたことは私に思わぬ作用をもたらしました。私が先生とのカウンセリング中にふと、学校時代に侮辱された記憶が蘇ってストレスを感じることがあることと、自分が小説を書く習慣を持っていることを話したところ、先生から侮辱された記憶のことを詳しく小説に書くように勧められたのです。嫌な思い出を思い出したくないのに思い出してしまう病(PTSD)に対しても、曝露反応妨害法はよく応用されるそうで、嫌だった場面の情景を、俯瞰的に、客観的に詳しく思い出して記録に書き出すことによって、思い出す際のストレスにも慣れて、さらに脳の海馬が、「この記憶はもう覚えておかなくてもいいや」と思ってくれる作用も合わさって、その場面の記憶を普通の記憶にしてしまえるのだそうです。(この一連の要領は、筆記療法とか物語療法とも呼ばれています。)私はこの療法にも取り組み、やはり実際に予言の通りの経過を得ました。

さらに、それとは別の良い影響が現れました。
高校のいじめ加害者たちは、私への侮辱行為を働くのに、私の「級友の誰とも馴染みの間柄を築けていない」という特徴を馬鹿にする手段を多用しました。
したがって、マイナスの感情を感じた状況を小説に起こすことを始めた私はまもなく、「自分は、クラス内のどのグループにも入れなくて苦しんでいた」とか「青春の思い出を沢山作っている同級生たちが羨ましかった」というような文言をつづることとなったのです。
そうした文言を着想して筆に起こした当初にはもちろん、胃の裏からせり上がる溶岩に内臓を焼かれる感覚に苦しめられました。しかし、そのような文言こそ、逃げずにじっとこらえて描写すべきくだりなのだと、私にはわかっていました。作業を続けているうちに、不潔感に慣れるのと同じに、その感覚の度合いはだんだんにおさまっていき、日を変えて取り組みを続ける内に、ついには、同じ動作による灼熱感自体が起こらなくなったのでした。この時、肉付きの面も同時に消えてしまっていました。「友達が出来ない」という言葉に連動して劇薬を染みださせる胃の裏のスポンジが除去されたために、「他人から急にスポンジをつつかれる可能性を下げるための防具」ももう必要なくなったのです。

四年近くにわたって自分の顔にかかっていたタガが外れたと感じたのは、ちょうど、心理分析を始めてから二時間半が経ってからのことであったと思います。「強がりの心情」もまた、曝露反応妨害法の適応症であったのです。
私は、他人の前でつい仏頂面してしまう癖のことは精神科医の先生には告げていなかったので、このことは先生も想定に入れていなかった効果であったと思います。この変化を契機に、私は買い物に出かけて愛想笑いの一つもできるようになったし、いじめ被害者や、引きこもりや強迫性障害当事者の自助グループに出かけられるようにもなったのでした。これまでの記述の中にはずいぶんネガティブな文章も含まれていますが、私はこのページを、一行綴るたびに厭世的になって休み休み単語をつないでいるというわけではなく、まったく事務的な気持ちで書き綴っているのです。

総括すると、冒頭で述べた私が発見したこととは、「学校内で友達が出来ていないことに本心では悩んでいながら、強がりによってさびしくないふりをしている、時には無愛想な演技すらしている人が、虚心に友達が出来ていないことに悩んでいると口に出せる人に変わるためには、学校内で苦痛を感じた場面のことを詳細に、具体的に、客観的に、俯瞰的に小説に描写すれば良い。その作業に取りかかった始めには、胃の裏の少し下から、溶岩のような熱さがせり上がり、圧迫を受けて上半身の内圧が高まるのを感じ、肺が押し込められて息苦しく、心臓が早鐘を打ち、頬が火照って張り詰める、というような感覚に苛まれて、しかも、その灼熱感が無尽蔵に増えて行きそうで、死んでしまいそうな気分になるだろうけれども、その感覚は曝露反応妨害法の適応症であり、逃げずに踏みとどまり、むしろ自分からその感覚を起こすような心構えをするほうが、快方へ向かう道である。灼熱感は取り組みを始めてから40分程度でピークを迎え、その後にはだんだんに苦痛は下がり、二時間半後にはほとんど感じなくなっているはずである。日を替えて作業の続きをすると、また少し苦痛を感じられることもあるかも知れないけれども、習慣を4日続ければ、作業を始める時の苦痛自体が起こらなくなっているはずである。その後は、だんだんサボりがちになりながらも一ヶ月習慣を続ければ、自分が強がりをしていたことが思い出せなくなるはずである。」ということです。

呪縛から逃れた後に振り返ってみると、私は肉付きの面の症状を、マイナスしかない恐ろしいものだと思いました。高校内には、私の内心を半ば察してくれて(?)私に対して優しくしてくれる同級生もいたのですが、私はその友好の手すらも振り払ってしまったのです。
やたらに人付きのしない態度を取らずに、学校内に味方を作れていたら、私は、いじめの対象にはならずに済んだかも知れません。
もし高校一年の時点で、不登校の子の集まるフリースペースや、生きづらさを抱える若者向けフリースペースに参加できていたら、実際とは比べ物にならないほどハイティーンを楽しく過ごせていたと思います。
ただ私に限らず、学校のクラス内のどのグループにも入れなかった場合にすぐに「自分は孤独に悩んでいます」とすらすら言える思春期の青年は少ないのではないかと思います。私は、高校の昼休みには雑談に興じる同級生たちを見るのがいたたまれなくて、たいてい図書室に逃れていました。すると、そこにたいてい、私と同じような境遇に陥っているらしい生徒が他に二人いました。しかし、私たち三人ともが、お互いに歩み寄ることなどなく斥力を働かせ、三人してそれぞれ、図書室のドアが開くたびにその方を盗み見て、自分のクラスの同級生が入ってきたのではないかを確認しているのでした。
それに、2001年に、調べ学習の際の班決めで誰からも誘われなかった女子高生の内面描写から始まる、綿矢りささんの「蹴りたい背中」が大ベストセラーとなりましたが、大なり小なり多くの人に、「自分も強がりをすることがあるかもしれない」という心当たりがなければ、この作品は好評を博さなかったのではないでしょうか?

私は、自分の発見をなるべく多くの人に届けたいと考え、今回、このウェブサイトを立ち上げることとしました。

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