【孤独な生徒は時々には教室にて狸寝入りをする】

Pocket

一方で、なんと私には、昼休みの時間中ずっと教室に留まるパターンの日がありました。私は喧騒の教室の中でも、もし飲食という動作をとる場合は、同じ卓を囲う友達がいないことが端的に図式化されるためにとうてい居たたまれなかった訳ですが、ただ、ぽつねんと座っているだけなら、ぎりぎり精神ダメージに耐えることができたのです。
私はそのパターンの日には水道で手を洗うと、引き返して自分の机に戻り、おもむろに両腕を前に投げ出し、机の真ん中に折り畳んだタオルに片頬を埋めて目をつぶりました。私は、熟睡している人物を演じきるために、五時限目が始まるまでに一旦閉じた目を開かず、微動だにもしない覚悟を決めていました。教室が談笑に満ちてきて、やはり私は、例の、みぞおちの奥からせり上がる圧迫を受けて上半身の内圧が高まるのを自覚し、肺が押し込められて息苦しく、心臓が早鐘を打ち、頬の皮膚が張り詰めているような感じに苛まれました。図書室へ逃れて同級生たちがはしゃいでいる光景を目の当たりにせずに済んでいる間は劣等感は抑えられましたが、そうした幾日かが明けて迎える教室に留まるパターンの日のこの責め苦は、私にはいつでも鮮烈に感ぜられました。
こういう日の私は、つまりは昼食抜きであったわけですが、どうして空腹と焦燥に耐えてまで教室に留まったのかというと、一つには、私を見る他人に対して「自分は喧騒の教室を苦にしている訳じゃない」とのほのめかしを与え、もう一つには、同級生の前で昼食を摂らずに昼休みを終えることによって、自らに「栄養補給の概念自体をわきまえていない異端児」としての演出を施し、その二つの作用によって「立瀬将樹は、本が好きだから読書の合間に図書室で昼食を摂っていると主張しているが、それは弁当を誘いあわせて食べる友達が一人もいないのを気にして昼休み中の教室にとどまること能わないことへの言い訳ではないのか?」という旧来の噂を、「立瀬将樹は人知を超えた存在なのかもしれない」という噂に上書きさせたい、といった意図があったためでした。
飢えと火傷によってのた打ち回りたいのとは裏腹に、私は自分の席に横たえた寝顔に笑みを含ませ、呼気をゆっくりした周期で漏らし、寛いでいる格好に身体を工作しました。タオルに枕するのも、「本人の意志で昼休みを休息に充てている」という構図をひけらかすための工夫でした。私は「王」字型の本棚にひそんでいてしばらく図書室のドアの開閉がない時でさえ、昼休みが終わる時刻が待ち遠しく、適当に手にとった本を眺めて少しのあいだ気を紛らわせると時計を覗き、針があまりにも動いていないのに愕然としたものでしたが、偽りの睡眠を強いられている時には、時間を知って一憂するという仕事のあった昔が懐かしくなりました。私は暗黒の世界に閉ざされて、時間の流れの速度に注意を向けて焦燥感を募らせる悪循環からどうにか逃れようとしました。私はあるいは、最近目にしたテレビや漫画やインターネットの面白いサイトの内容を鮮明に思い出そうと努め、先日見たあのギャグはこれこれこう言う意味合いで面白かったのだな、昨日読んだあの漫談にはこう言う意匠が込められていたな、などと、お笑い芸人を目指してもないのにおかしみの分析をして、過去のことを突き詰めるのにこの昼休みを使うのだから、時間の無駄はしていない、と自分を言いくるめようとしました。私はあるいは、視覚が閉ざされた分研ぎ澄まされた嗅覚で自分の服の袖の臭いを嗅ぎました。そうやって、自分の存在がまだある証拠を、わずかに取り戻そうとしていました。
このようにしてある程度の時間を過ごし、もしかしたら思った以上に気紛らしは上手くいっていて実は昼休みの終わりは目前なのでは、と耳を澄ましている内に、私はさっきの予測が希望的観測だったことを知り、でも最初の予測のあと期待しながら待っていた時間が上乗せされた分、本当のチャイムが鳴る間際になったのではと耳を澄ましている内に私は二度目の期待も誤りだったことを知らされました。
ようやくの事で鳴り渡った昼休み終了五分前を告げるチャイムを耳にして、私は心の手で胸をなでおろすとともに、熟睡していて物音を感知しないはずなのにいきなり起き直ってはそれを見かけた人に私の狸寝入りを推理するのを許してしまうという危惧を覚えました。私は上体を起こす前には、勿体ぶってまぶたを持ち上げ、大口を開けてゆっくりと長く空気を取り入れた後、にじんだ涙を拭うふうに人差し指の背で目頭をこすり、さらに黒板の上にある掛け時計に半目の顔を向けてたった今授業の始まる時刻が近いのを知ったかのように、ハッと目を見開くという寝起きの演出を欠かしませんでした。

【孤独な生徒は全校集会へは出られない】:INDEXへ進む→

「孤独図鑑」:INDEXへ戻る→

ホームへ戻る→

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です