【孤独な生徒の命運は、入学して5日目にして決まる】

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2005年4月13日。入学式の明けた次の日でしたが、それが高校生になってから最初の、昼休みが含まれる日程の日でした。私は、恐らく4月の初めから、高校では中学校までにはあった給食制度と授業中での席順を画然と分断して班割りをするルールが無くなり、教室内で思い思いに気の会う人と近しい位置に移って食事ができるようになることを意識に入れていたし、当日までに「昼休みを日に50分間ずつの、クラスメートとの雑談に興じつつ昼ごはんを食べるという、自分の存在が他者によって是認される機会としたい!!」という願望を胸中に充満させていました。しかし、実際の昼休みが始まると、なんとなく勇気が出なくて、私は自分の席を動けずに、母親に作ってもらった弁当をぎこちない手つきで口に運ぶことになりましたが、誰もが私と心境は同じであるのか、自分からほかの同級生を誘って机を合わせる人をほとんど見かけなかったし、食事の終わった後に雑談をする声もあまり聞かれなかったので、さほど焦りはしませんでした。ただ私は、帰宅すると母親に「もう弁当は作らなくていい。購買か食堂で買うことにしたい」と言いました。私は、自分の、これからの命運を半ば予感していて、無意識に昼食を食べつくすのに手間がかかからないよう取り計らったのかも知れません。
二日目には、今日こそとにかく誰かに声をかけなければ、と決意を固めていたところへ、座席の位置取りが近かった松永一考という生徒が、藤本雄飛、曽根高哉とともにL字型に組み合わせた机に「いっしょに食べませんか?」と招いてくれて、私は一も二もなく机を運び寄せ、その日は四人で食卓を囲むことが出来ました。この日は「どこの中学出身なの?」とか「どのあたりに住んでるの?」といった基本的な話題や、校舎の設備面のことや、昼食後の行事の予定のことなど初々しい会話を交わして、差し向かいになった初日としては順当な交わりをしたことと思います。第三日目にも松永一考が、L字型に机を組んだ上で私を誘ってくれて、この日の昼休みの過ごし方は前日と大同小異でした。
四日目には、前日の私を含めた四人組の誰かと、他の地区でよりあった五人のグループとに交渉があったらしく、二つのグループで合同して学生食堂を探検してみようという話が持ち上がったようで、私はその一行の後ろにくっついて行きました。目的地では二人ずつ向かい合って細長い食卓を挟むように椅子が並べてあり、ひとつだけ向かい合う相手のいない席には、私が腰掛けることとなりました。列席者の数が増え、成員の相関が多様になったため、末席に居ることもあるのでしょうが、私に話題の振られる頻度は減り、前の二日では何か問われてから応える形式でばかりものを言っていた私はこの新しい所帯に深くとけ込めていないのを感じ、焦りを覚えました。そうして、五日目に至って、私が購買で食料品を買って戻ると、前日に食堂の同じ卓を囲った私の他の八人が、南西の一角で机の天板を細長い長方形に組み合わせていて、輪の中央にはあみだくじの書かれた紙が置かれてあり、メンバーはそろって上体をのめらせて、それへ笑いかけていました。私は、自分が所帯の一人として認められていなかったことを告げられ、火を飲んだようなみぞおちの熱さを感じました。学級には、松永一考が属している所のほかにも、いくつかの男子生徒のまとまりがありましたが、私にはそのどこにも自然に話しかけられるあての人はなく、初日とは違って五日目の今日ともなると、まとまりの成員同士は、互いが和のなかにいるのを見慣れ合ってきているようで今さら私が歩み寄っても、一団の面々は、その事に意表を衝かれたという目つきを、すなわち「俺は現在立瀬と別に親しい間柄ではない」という意思表示を、一斉に私に向けると思われました。
教室から踵を返したこの瞬間に、私は高校生活でクラスメートと楽しく昼食をとる権利を放棄しました。私の顔には、無愛想な造りをした肉付きの面が食いついていました。

わずか五日目にして自分の命運を諦めることも、昼休みに限らず、もうすでにいくつもの休み時間を経たのに、学級のどの島とも気軽に話しかけられるつながりを作っておかなかったことも、はたから見れば情けないことなようですが、私自身としては、無理もないことだったと思います。後から考えると当時の私の中には同年代の人と雑談を維持する材料が少なすぎました。この頃の私の余暇の使い方を言えば、インターネットとBL本集めでした。スマホが普及した現在ではどうだか知りませんが、2005年の高校生にとっては、インターネットの面白いホームページを廻って楽しむことは、「他者との生身の付き合いから逃げた社会生活の充実していない人」という印象を向けられるかも知れない、あまりおおっぴらにできない趣味であったのです。
BL本集めというのは、その当時に始まったばかりの趣味で、新高校一年生が始まる前の春休み中に、bookoffで女性向けと書かれた札のかかった棚に男同士の恋愛を描いた漫画が、きわどい描写を含んで、さりとて18禁扱いでもなく売られているのを見つけて、以降興味を持って、自転車で行ける範囲のbookoffのみならず、休日を全て使って電車を乗り回してまで、お気に入りの漫画家の作品を買い集めていたものでした。
他に、若者らしい趣味で言うなら、例えば球技が挙げられると思いますが、私は生来から球技全般に興味がもてず、実技としても苦手でした。ただ後に知ったことですが、それは生物学的に決まっているとすら言えるくらい、ゲイ男子にはありがちなことであるそうなのです。
あるいは、例えば歌唱について言うと、私は小学生の間は、そんな歌が下手じゃなかったはずなのですが、声変わりを迎えると、音質が一気に低くなってうまく歌えなくなってしまったのです。それに伴って、流行のアーティストのこともあまり知ろうとしなくなっていました。このように、私の時間の使い道にはポップなことは少しもなく、同級生に自己開示できることはほとんどなかったのです。
。あみだくじのことが無くても、私が鎖国を始めるのは時間の問題であったのだと、今では思います。
また、前日に同じ卓を囲った9人の内の私だけが蚊帳の外になったのも、私が委員会か何かでその日の昼休みの初めの何割かを抜けていたからであり、あみだくじに参加していたメンバーに他意はなかったとも思います。

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