焦燥感の表現:岩野泡鳴「放浪」からの引用{後編}

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書名:放浪作者名:岩野泡鳴
年刊:1910年
装丁:集英社刊「日本文学全集43岩野泡鳴」
引用文のページ数&行数:p171ℓ31~p172ℓ15
引用文に至るあらすじ:主人公田村義雄(たむらよしお)は最近事業に失敗して無一文になりつつあり、家族に送金もできなくなってセンチメンタルな状態である。
そんな時に、日課として銭湯へ行き、入湯をする。
引用本文:
前々回の記事参照
管理人のコメント:
さて前々回からの記事に引き続いて、「放浪」にて描写された、センチメンタルな時特有の心理パターンを追ってゆきたいと思います。

センチメンタルな時にありがちな思考その3
「普段は好きであったはずのこと。が楽しめない自分自身を感じ、さらに慌てる」

好きな湯にあたりかけるのかしらんと、」
この一文には前の記事で触れたニュアンスのほかにもう一つの意味合いが含まれています。つまり主人公は普段は風呂好きであった訳だけど、悩み事を抱えているために、入湯の楽しみが減殺されている。晴れ晴れと味わうことができない自分自身を感じ、非常事態であることをさらに意識してしまって、さらに落ち込んでしまう。という心情が描かれているということです。
こういった心情は私自身も、苦手な球技の授業が控えている数日前に、不安な気持ちを紛らわせようと思って、ゲームやインターネットの面白いホームページ探しをやっている最中に感じた心あたりがあります。
それと、パニック障害に罹患していた当時、パニックが怖くて旅行に行けなかった頃にも感じた覚えがあります。

悩み事を抱えるということは、悩み事その物に関する不幸だけを味わう、ということではなく、そのほかの楽しみを失う不幸をも含めて味あわなければならないということなのです。

センチメンタルな時にありがちな思考その4
「後ろめたさに対して言い訳をする時もある」

「ひイやりすると同時に、
不安の材料がはッきりと胸にこたえてきた。
弟と従兄弟とが樺太で飢え死にするかもしれないが、かまわないか?
東京で、妻子は心配のために病気になるかもしれないが、いいか?
愛妾も、また、薄情を怨んでいるが、どうだ?彼は小桶を前にすえてただ考えた。そして、いちいちその申しわけの理由をつけた。弟も従兄弟もみすみす事業の不成功をきたしたのは、最も不注意なのだ。死ぬくらいの苦しみをして、
実際的に目を覚ます方がいい。」

前々回の記事で私は、学生時代に、苦手な球技が体育の授業種目になっている期間には、同じ班になった班員にたいして負い目を感じて、オフの時でも「罰せられる自分の幻影」を常に脳裏にさしはさむ習慣を持ってしまったと記しましたが、その思想とは逆に「チームメンバーの生徒は私から迷惑をかけられてもしょうがない奴だ」という理屈をこねる時間も、当時の私にはありました。

「チームメンバーの○○○○は、全然勉強せずにテストの点が悪い奴だから・・・。先生の労力をいつも無にしている奴だから、僕から迷惑をかけられてもしょうがないのだ」
「××××は・・・掃除の時間にいつもさぼってばかりいる奴だから、僕が手足にまとわりついてもおかしくないのだ」
などと。

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