「焦燥感」の研究 その2

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なぜ、そんなにこまかく調べる必要があるのか?

さて、私のブログでは「自分は悩みを抱えている時に胃の裏に焼け付き感を感じる」ということを「心理描写学研究所の目的」をはじめ、色々な記事でこれまでもさんざん書いてきているし、さらに今回「胃の裏の劇薬入りのスポンジ」のこまかい座標までもを調べました。
私は、そうした生理の描写を研究をすることは世の中のメンタルヘルスを全般的に善導するために重要なテーマであると考えているのです。

さまざまなマイノリティについての文献を読み込んでいくと、不安や焦燥を抱えている人がその苦痛を表現する時には「胃の裏から上の上体」に限定して「心理的な熱や痛みを感じる」という述懐が漏れることが共通点として挙げられるのです。

・私自身が悩みを抱えた場面を振り返ってみてもそうだし、2ちゃんねるの孤独な男性板や運動音痴板でも「修学旅行の班決めのことを思うと胃をわしづかみにされるみたい」とか「明日のサッカーの授業のことを考えると心臓がキリキリする」などと、私が感じたのと似たようなカキコが散見されるのです。

・小説を読んでいても、主人公が心配事を抱えた場面の心理描写では、「胸がきしむ」とか「胸を締め付けられる」とか「断腸の思い」とか上体の内側についての比喩が使われることが多いものです。

・強迫性障害治療の世界でも「ヒポコンドリー」と言って「強迫性障害の患者が強迫観念にさからう時に共通して経験する、みぞおちの下に感じる不快感」を指す用語が使われています。

・パニック障害の患者さんが、パニック発作の最中の自分の生理感覚を表現した文章には「胃をギュ-と掴まれて引っ張りあげられる感じ」「お腹の中がぐちゃぐちゃになった感じ」「内臓を鉄板で押し付けられている感じ」などと「胃部不快感」の表現が含まれていることが多いものです。

・田房永子先生の漫画「キレる私をやめたい」にも「夫に対するちょっとした不満なのに、お腹の中でマグマが燃えるようにイライラしてそれに突き動かされて爆発的に夫を罵倒してしまう。そしてその後には必ず自己嫌悪に陥る」という描写が描かれています。

このように、古今東西を問わず悩みを抱えている人がいれば、その腹部には必ず熱くて痛い異物が介在しているようなのです。

「マイノリティに陥ること」と「胃の裏に不快感を経験すること」、あるいは「悩みを抱えること」と「胃の裏に不快感を経験すること」、あるいは「不安や焦燥を感じること」と「胃の裏に不快感を経験すること」とは、それぞれイコールで結べると言ってしまっていいと思います。

そこで私はそうした胃の裏の生理感覚を、他人が聞いてもわかるようなうまい言い回しで表現する研究をしたいと考えるに至ったのです。

そうしたデータを形にして世に広めることによって、次の二つの利点が生まれると私は考えています。

一つ目の利点は、世の人みんなにとって心理カウンセリングのコツを明らかにできるということです。

人が悩みを抱えている時にその内容を他者に打ち明けることは、プライド「保護本能によって弱点をさらせない心理」に阻まれて難しいことがあります。それはつまり、悩みを抱えているらしいことがうかがえる人の直近にいて、相談役をしたい人(例えば不登校児童の両親や、ブラック企業に入社してしまった人の家族)にとっても、本人から悩みの核心を聞きだすのも難しいということです。
「胃の裏に心理的な熱さや痛みを味わう」ことが悩みを抱えた人全般にとって共通の体験であるということは、他人の相談に乗りたい人は、クライアントが悩みを打ち明けてくれるような信頼関係を作るための言葉がけとして、その胃の裏の生理感覚についてアプローチするのがコツであるということが言えるはずなのです。

つまり具体的には「あなた最近、元気がないみたいだけど何か悩んでる?もしかしたら、いま、胃の裏に焼け付くような感じを感じていない?私は悩んでいる時にはだいたいいつもそんな風に感じるんだけど」などと声かけするということです。

こうした声かけをすれば、相手の気持ちに対して的外れになることが少なく、クライアントは「自分は共感してもらえている!」という気分になって、心をすんなり打ち明けてもらうまでの端緒の会話が始まりやすくなると思います。

二つ目の利点は、悩みを抱えることになった本人に、「自分が悩みを抱えている」ということを気づきやすくさせられる、ということです。

「悩みを抱えた」という状態に陥った本人は、先に述べた、「他人に悩みの内容を打ち明けられない」という段階にも立てないことが往々にしてあり得るのです。
その前段階には「自分自身に対してすら悩んでいることを認められない」という段階があるのです。

前回の記事でも触れた通り、私は学生時代には「自分が球技が苦手だ」ということを、自分の心の声で自分自身に対して認めることができませんでした。同級生たちが普通にこなせる球技を、自分ができないのが恥ずかしかったからです。

それに、他のいろいろな記事に記した(「心理描写学研究所の目的」「B毒の汚染 第五章~忘れられた坑道~ その1」など)ように、高校在学中の私は、「自分は教室内のどのグループにも入れていない」とか「自分は学校内でただの一人も友達を作れていない」という現況の説明を、自分自身にすることができませんでした。「友達を作って青春の楽しい思い出を作る」という大多数の若者にとって標準の利益を、自分だけが逸していることが、恥ずかしかったからです。
その当時のことを振り返ると、在学中の私にも「また(体育の授業がある)木曜日が来ちゃうよ・・・・。どうしよう・・・。」とか「自分は、こんなんでいいのかな・・・。だって高校生活って言ったら普通・・・。」などと、現況分析の思考を浮かべることは、もちろん時々あったのです。しかし、思考を浮かべるやいなや「自分はガリ勉キャラなんだからいいんだ!」とか「バレーボールの技能なんて、この学期のカリキュラムが終わればもう必要ないんだからわざわざ身に着ける必要ないんだ!」とか「そんなことより、インターネットの面白いサイトを探して遊ぼうっと・・・」などと、言い訳の言葉を並べたり、見て見ぬふりをして、それを黙殺してしまっていたのです。
しかし、言い訳を並べている最中でも、私の心の奥底には、かすかなインナーチャイルドの泣き声があったし、危険信号としての胃の裏の焼け付き感が煮えくり返っていたのです。

最近私は、ひきこもり当事者の会合で、ブラック企業に勤めてしまったためにうつ病にかかり、退職することになった経歴の方とお会いする機会を得ました。その時に、心の表側の声と、心の奥底の声とが乖離することや、胃の裏の焼け付き感のことを話題にしたところ、
「自分も、『勤めている会社がブラック企業かもしれない、と疑いを持った瞬間に、『いやそんなことない、ここはいい会社なんだ』って、それを振り払ってしまっていた。『せっかく大卒の新卒カードを使って入社した会社なんだから、いい会社じゃなきゃいけない』っていう『もったいない意識』があったんだと思う。言われてみれば、在職中はいつも、おなかの中が焼けるような感じがしていた
と共感をしていただけました。

プライドにかかわる悩みごとを抱えた当事者が、心の表層の声で言い訳をして、心の奥底の本心を見ないようにする、という思考パターンに陥ることは、珍しくないのだと思います。ただ、どんなに言い訳をしたって、自律神経をごまかすことはできず、その最中の人の胃の裏には、特有の生理感覚が原則的に存在しているはずなのです。
焦燥感の表現を研究することは、そうした思考パターンに陥ることを予防するのにも役立つと思うのです。
人が悩みを抱えた時に、原則的に味わうことになる特有の生理感覚の存在と、具体的な表現を、先に広く世の中に伝えておけば、おばあちゃんの知恵袋的に、「悩んでいる時には誰でも、腹筋の裏側に、冷感と熱感の混在した痛みが感じられるものなんだよ。」ということを周知しておけば、ある個人が、突然に悩みを抱えて、心の表層の声で言い訳や見て見ぬふりをしたくなった時でも、胃の裏に起こっている生理現象をヒントにして「自分は悩んでいる」という前提に立つことができるようになり、自分の本心を分析する方向に、思考を動かす意志を持てるようになる。
こうした効果が期待できると思うのです。

以上、述べたことを総括すると、焦燥感の描写を研究し、データとして精錬させ、世に広めれば広めるほど、悩みを抱えることになった本人にとって、心の内奥を打ち明けられる可能性が上がり、その周囲の相談役にとって、クライアントから本心を引き出す精度が上がり、彼此(ひし)合わせて、人それぞれの悩みに対する客観的な解決案や支援策が集まりやすくなり、もって世の中全体のメンタルヘルスに良い影響をもたらすことができると私は考えているのです。

さて、焦燥感のことを「内部で酸を生成する板状の海綿体組織」に例えたのは、あくまで私の感性によるものです。

今回から私は、このブログの新たなコンテンツとして焦燥感の表現と銘打って「悩みを抱えている時に人体の上半身に感じる心理的な熱さや痛みに関する不快感」を主題にした文章表現を、世に広く募集したいと思います。
同じ上半身に限定された生理感覚でも、人それぞれの人生経験と十人十色の感性による文章表現を集めて行けば、様々な方向性の、より言い得て妙な表現が練り上がると思うのです。
これまでの文言に共感していただけた方で、憂鬱時の上体の生理感覚について心当たりのある方は、ぜひそのことを言葉で表現することに挑戦していただき、この次の記事に設けます【「焦燥感の表現」募集フォーム】へのご投稿をお願いいたします。

また先に触れたとおり、純文学小説やメンタルヘルスについての文献などを読んでいると、悩みを抱えている最中の人物の心理・生理描写がなされて、やはり上半身の熱さ・痛み感覚についての言及がなされることがあります。こちらのコンテンツではそうした文言を引用して、記事として並べることもやっていきたいと思います。最初は、私のこれまでの読書経験の範囲で見つけた、いくつかの引用文を挙げて行きますが、このコンテンツ内にまだ紹介されていなくて当該の生理描写の文言が含まれた既刊の書物をご存じの方は、同上の投稿フォームにてその書名をお教えいただければ幸いです。(マサキが本を読むスピードは別に早くないですので(;´д`)独力では引用文の数はそんなに増やせないと思います。)

そうして「学校での孤独・いじめ被害体験募集フォーム」へご寄稿いただける小説作品にも、孤独体験・いじめ被害体験の最中に胃の裏の情動はどうであったかの描写を、意識して取り入れてくださると嬉しいです。

次の記事→「焦燥感の表現」募集フォームへ

いただいた文章は右のリンクに並べて行きます→【「焦燥感の表現」まとめ】

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