【動物と話せる青年マサキ】

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私は、先に書いた草原の傾斜を何度か利用していて、ある時にはそこで猫と出くわしました。
猫はただの通りすがりで、既にこちらを警戒して早足ぎみで、その延長線を目算すると、私と最も近づく時でも2メートルの距離を空けて、土手を横切り終える予定のようでした。しかし私は、先方を見かけるやいなや目を上げて、四つんばいになって、その鼻面の方向へ手を差し出していました。私は、単純に猫をカワイイとも思っていたし、枯葉のような気分を紛らわしてくれることが嬉しいと感じたし、「猫と戯れているんだな」と第三者から普通の人と見做される時間を少しでも長く確保するために、猫さんには何としても草原に留まっていてもらいたい、と焦っていました。
私は、学校の外を歩いている時でも、遅れて登校しようとしていて、偶然この時間に通学路を通りがかった同学の生徒や、一般の道行く人や、偶然窓の外を眺めていた人から立ち居ふるまいを観察される可能性を胸中に抱き、「友達が居なくて授業時間にもかかわらず町をさまよっているんだな、哀れだな」と推定され嘲笑されることを常に恐れていたのです。
そのように、内実としては私は猫さんを全面的におだてなければならない立場であったわけですが、猫に寄って行った際の私の表情は、猫を愛嬌がる破顔一笑でもなければ、お追従笑いでもありませんでした。そのときの私の口元は、まるで猫の方が自分のところに来たがっているのを承知していて、その心情を受け入れてあげているかのような薄いほくそ笑みでした。それはつまり、普段からクラスメートに対してほのめかしている、「クラス内で交友関係が築けていないことを苦にしていない」という主張の一種であったのです。この時の私は無意識の内に、周囲の目に対して、「人間社会の通念を理解していない代わりに、森の精や草花の精や、小動物と心を通い合わせることができる超然なる人物」という演出を自らに施していたのです。人間らしい外聞もなく、やたらに姿勢を低くして猫と目線を合わせようとしたことも、なれなれしく相手のヒゲの方に手を伸ばしかけていたこともその意味合いに力を添えるための工夫でした。しかし、現実には動物のほうでは人間の思惑など知ったことではなく、彼としては怪訝な顔で一秒足らず足を止めて、軌道修正して駆け足に遠ざかっていくだけのことでした。

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